キス 夢をみていたような気がした。眠っている間中、ずっと、夢を。 形にならない記憶を、そのまんま味わっていたい、そんな気分。 空気がふんわりと何かに包まれているように、柔らかい。 肌に触れる全てが、心地良い感触。 そっと頭を起こしたファリスの髪に、 まだ生まれたばかりの瑞々しい朝日が降りる。 鼻先に落ちた自分の髪から、石鹸の香りが零れる。 いつもの香りと、少し違う気がして。 照れくさくて、髪をかきあげて後ろに流してしまった。 ずっとみていた、形にならない夢を、そのまま例えたような、 隣にある気配の主を、ファリスは、そうっと見る。 まだ、眠りの中にどっぷり浸かっているようにみえる、バッツの表情。 気づかれて困る事なんて何も無いのに、必死に気配をころして、 彼女はその顔を覗き込んだ。 一種の、悪戯心にも似た、まるで覗き見でもするような気分で、 意識の無いバッツの顔を観察する。 頬の力も、目も、唇も、緩んで、余計な力の入っていない、バッツの顔。 こうやってると意外に整った顔立ち。思って、ファリスはひとり、ちいさく笑った。 手を伸ばして、バッツの頬に押し当てる。温かくて、触り心地が良い。 味をしめて、今度は瞼を触ってみる。次は鼻、唇。 触れるか触れないかの、弱い力で。 微妙に変化する指先の感触を、楽しむように。 力の抜けていたバッツの唇の端が、ほんの少し上がった気がして、 瞬間、迷いもせず、ファリスは手をバッツの腹の辺りに移動させた。 「ぶっ・・くっは!!」 篭った笑い声をもらしながら、途端にバッツが丸まった。 林檎でももつ位の弱い力でも、脇腹を掴まれると流石にこうなる。 「ちょっ・・おい! タンマ! マジで!」 自分をくすぐっている両腕を掴んで、笑顔のファリスに懇願した。 「寝たふりなんかした罰だ」 綺麗な形の目を、少し細めて、でも、ファリスに怒っている様子は無く。 手を振り解かれる、様子もない。 「予想、外れちまったな」 握っていた片手を、ファリスの頭に移動させて、髪を触る。 言葉の意味が解らずに、顔を覗き込んで来たファリスにちょっと笑いながら、 バッツはついにもう片方の手も、ファリスの髪にのせてしまった。 「キスでもされるのかと思ったのに」 ファリスの髪はしっとり重くて、心地良くて、指全体に絡ませたら、 甘い感覚に息がつまりそうになる。 「ばっ・・! そんなことする訳・・」 その上、そんな顔をされてしまったら。 焦って、表情の崩れたファリスの頬が、ほのかに赤い。 もうこのまま窒息死したっていい。 今しか考えられない。過去や、この先や、そんなものはもう、 どうでも良くて。 ただ、今の感覚が気持ちいい。 赤い顔をバッツの手が包み込んだら、 ファリスがほんの少し、頬に力をいれた。 見つめた先には、深い青。コロコロよく動くかと思ったら、 不意にピタリと動きを止める、不思議な目だと思った。 そっと、バッツの指に唇をなぞられる。くすぐったい位、弱い力。 ぼんやりとされるがままに、バッツをただ見つめる。 「な?」 「は?」 子供のような笑い方で、バッツが同意を求めるような声を発した。 首をかしげたファリスを覗き込んで、 「キスされるかと思うだろ?」 すぐ傍で、そっとささやく。 また赤くなったファリスの顔を、満足げな笑顔でみつめる。 「思うか!! もういい!はなせよ!」 ネコみたいに暴れ出したファリスを、声をだして笑いながら、 バッツは強引に腕の中にひきとめた。 彼女の腕や足が、時たまバッツの腕からはみ出したけれど、 その抵抗は、そんなに長く続かない。 静かになった腕の中。 柔らかい感触と、ファリスの匂い。 コツンと、ファリスの作った拳が、バッツの胸を叩く。 腕の中の小さな攻撃に何の反応も示さずにいると、もう一度、胸に軽い衝撃。 ずっと反応しないでいたら、何回叩かれるんだろう。 思いながらも、二回目の衝撃で、耐えられず、 腕の中の、どうしようもない存在に目をむける。 「ファリス」 名前を呼んだら、生意気そうな目はそのままに、また覗き込まれる。 鋭くもなくて、弱くもない、今の彼女は、 纏っているものすべてをどこかに置いてきたように、 ただ、シンプルで。 「やっぱ、いいや」 「何だ、そりゃ」 バッツの曖昧にすっきりとしない言葉に、ファリスが笑う。 静かにもういちど抱きしめたら、それでも腕の中の彼女は、笑っている気配。 抱いていた背中から、両手を、彼女の顔に移動させて、 頬を包みこんだ。 ファリスもバッツの手にそっと手を重ねる。 すこし照れたような、ただ触れる程度の軽い力で。 伝えたくて、どうしようもない。 体中で、今、必要以上につくられるこのちからをこめて。 まるで競い合うように、キス。 ”アイシテル”の代わりに。 わたしがバツファリを甘くすると、気持ち悪い。 |