おつかい





「あー・・」

ここ数ヶ月で、すっかり見慣れてしまった色味の無い風景に一つ、
ほんのりと色づいた色彩を見つけると、
少年は、小さな感嘆の声を漏らした。

小さな手が、その色彩の主を掴む。
頼りなげに揺れるのを見て、少年は我に返った様に、
握った花を開放した。

「がんばれー」

まだ春には少し早いというのに、いち早く咲いてしまった花に話し掛け、
しゃがみこんだまま、花としばらく見詰め合った後、
少年は、大切ないい付けを思い出した。

「バイバイ!」

なったばかりの友達に、背を向けたまま言い放つと、
少年は目的地に走りだした。
寄り道はするな。そう、お母さんに言われたのだ。

「お前を、男の子と見込んで、一つの指令を出す」

ぴしっと背筋を伸ばしたお母さんは、本物の司令官みたいだ。

「はいっ!」

だから、僕は本物の特派員なのだ、少年はそう思って楽しくなった。

「お前のお父さんが、こんな昼間から、酒場に立てこもっているという
情報が入った。今すぐ連れ出してこれるか?」
「はいっ!おやすい指令です!」

お母さんはすごい。お父さんの居場所がどうして分かったんだろう。
お父さんが出て行ってから、一度も外に出ていないのに。
僕以外の誰とも、お話してないのに。
情報を流してくれる透明人間が、お母さんにだけ見えるのだろうか。

少年は、母を尊敬した。


「変なの」

誰に言うでもなく、少年は心のつぶやきをそのまま声にする。

「追い出したのにぃー!連れて来こいなんて、変だー!」

この道は、隣の岩に声がぶつかって、跳ね返ってくるのだ。
おもしろくて、少年は、わざと大きな声を出した。

この岩の道を抜けたら、酒場がある。
ちょっとだけ、三人で来た事があるのだ。

美味しいものが沢山あって、色んな大人に頭を触られて、
でも、大人の飲んでるのは飲ませてくれなかった。
頼んだら、お母さんは飲ませてくれそうだったのに、
お父さんが意地悪で、お母さんの事を「バカ」だって言って、
飲ませてくれなかった。

酒場のドアを開ける少年を、少し変わった目でおばさんが見た。
そんなおばさんを、少年は不思議に思ったが、
すぐに、自分の与えられた指令を思い出す。


「いたー!」

客一人と、酒場のマスター一人しか居ない店内で、
目的の人物を見つけ出すのは簡単だ。
驚いて振り返った父にとって、少年はあまりにも意外な出迎えの
人物だった。

「もしかして、お前一人で来たのか!?」

嬉しそうに突進してきた少年を受け止めながら尋ねると、
そんな事はどうでも良さそうに少年は笑顔で頷いた。
指令ごっこの事も忘れて、自分の足で父に会いに来れた事が、
なんだか嬉しくてしょうがないのだ。

「ここは大人の来る所だから、子供一人できちゃダメだろ?」
「だって、指令なんだもん」
「はぁ?」

息子の意味不明な言動に困惑する父に、少年は思い出したように、
ぴしっと背筋をのばした。

「お母さんの命令だ! 連れて行くぞ!」

突然、指令ごっこを思い出した少年の様子は、父にとって益々理解不能だが、
ここに息子がやってきた理由を知るのには、十分だった。

「あの、バカ」
「いいじゃねぇか、ファリスらしいや!」

笑いながら、酒場のおじさんが差し出したジュースを前に、
少年の目はたちまち輝く。

「ありがとう」

嬉しそうに、もらったご褒美を一口、二口飲んで、少年は思った。
前にここで飲んだジュースよりも、このジュースの方が美味しい。
本当に美味しい。

「おいしい!」
「そりゃ、仕事の後の一杯だからな」

そう返事をしたおじさんに、少年は、ぶんぶんと首を横に振った。

「まだ、後じゃないんだった」
ジュースを、一気に全部飲み干して、満足げにため息をつくと、
少年は父の手を握って、引っ張った。

「帰ろ!」

眉をしかめた父の背中を、おじさんが叩いた。
「そうだ、つまんねぇ意地張ってないでさっさと帰れ」



「ねぇ、何でお母さんは、お父さんの居る所が分かるの?」

さっきよりも少し赤くなった帰り道。
犯人は、目の前の空に浮かんだ真っ赤になった太陽のせいだ。

「さあな、何でだろうな」
「透明人間がいるのかな?」
「とうめいにんげん?」

何だそりゃ、と笑った父の手を、ぎゅっと握り締める。
もう、どこかに行ってしまわないように。
絶対に、家に連れて帰るのだ。

「お母さんは、お父さんがどこに行っても分かるの?」
「さぁ、どうなんだろうな」

父の返事に、少し少年は心配になった。
じゃあ、次におとうさんが今日みたいに出て行って、
お母さんにも居場所が分からなかったら、
そしたら、二度とお父さんに会えないかもしれない。

「ねぇ、お父さんは、お母さんが嫌?」
「はぁ!?」

深刻な様子で、少年が尋ねる。

父はそんな少年を見て、自分の小さな行動が、
少年を大きく不安にさせている事に、ようやく気が付いた。

「嫌な訳無いだろ?」
「じゃあ、家に帰りたくない?」

すこし安堵の表情を見せながらも、もう一つ、少年は質問を投げかけた。

「そんな訳ないだろ?」
「ほんと?お母さんの事、キライじゃない?」


ふと立ち止まって、父の目線が、少年と同じになった。
大きな手で、頭をがしがし撫ぜられる。少年はこれがお気に入りだった。

「キライな訳ないだろ? 大好きだよ」

父の言葉に、少年の心がふんわり軽くなった。
くしゃくしゃに笑いながら、走り出す。

何かせずにはいられない程、体の中に嬉しい気持ちが溢れ出した。

「僕も、お母さんが大好き!」
「そっか。 おい、あんまり走ると転ぶぞ」

父のアドバイスを背に受けて、少年はブーメランのように、
Uターンすると、再び、父の手を握り締める。

「僕はねぇ、大好きより大好き」
「じゃあ、父さんは大好きより大好きより大好きだな」
「じゃあ、僕は大好きより大好きより大好きより大好き!」

父の言葉に負ける訳にはいかない。舌を噛みそうになりつつ、
即座にそう答えた。

「じゃあ、父さんは大好きより大好きより大好きより大好きより・・」
「うるさいぞ、酔っ払い!」

父との言葉遊びに熱中していた少年は、不意に前方から聞こえた
声に驚いて、そしてすぐに、喜んだ。

「おかあさん!」

母と会うのが、とても久しぶりのように思えて、
嬉しくて、恋しくて、思いっきり飛びついた。

「ホントに連れて来たのか!エライぞ〜!」
高く抱き上げられて、少年は笑い声をあげた。
母の頭を抱きしめると、いつもの良い匂いがする。

「簡単だったよ、全然怖くなかったよ」

地面に足を下ろしてもらうと、少年は得意げに胸をはった。

「そうか、凄いな!」

少年に、母は満面の笑みを向けてから、少し離れた所に立ったままの父を、
チラリと一瞥する。


「それに比べてお父さんは、いい歳して何を大声で言ってんだか」
「お母さんの事だよ」

母が、ちょっと驚いた顔で父を見た。


少年は、お父さんの姿に何か驚くモノがあるのだろうかと思って、
一緒に父に目を向ける

何時もと変わらない、でも、少し困った顔をしている気がする。
どうしたのだろう。


「よし、帰るか」

次に見た時には、母の顔は普通だった。
さっきまでの父の手よりも小さな、母の手を握る。


「おい、帰るぞ」

少年が父を呼ぼうとしたら、それより早く、
母がそう呼びかけて、手を差し出した。

父は黙って、少し小走りにこちらに追いつくと、
差し出された手を握って、三人並んで歩き出す。



「ねぇ」
母の手を離すと、少年は両親の手と手の間に移動した。

「僕、ここがいい」
手のつなぎ目を、小さな手で握って、少年がねだる。

「今日はダメだ」

渡さないとばかりに、母の手を握ったまま、
父が手を上に避けてしまった。



「ほら、こっちにも手、空いてるぞ」
言って、ヒラヒラと手招きした父の手を、しぶしぶ握る。


どうして今日はダメなのだろう。
でも、その答えは何となく、ちょっと分かる気がした。

だから、ちょっと不服ながらも、少年は父の手に落ち着く事にした。








ついに二人の子供まで妄想。
小さな子供を書くのが楽しかったです。


 
 
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