口実





別に、俺はやましい事をしている訳では無い。
ただ、昼寝をしていたら、勝手にあいつらがやってきて、
俺に気付かずに話を始めただけなのだから。
気にせず、昼寝を続けてりゃいいんだ。

別に、盗み聞きをしている訳じゃ無いからな。


「好きな女の子でも居るの?」
聞き覚えのある、高めのよく通る声。
はきはきとした、歯切れの良い口調。
交通手段の船を失い、1ヶ月程滞在している宿で働いている娘の声だ。
     
「そういう訳じゃねぇけど、悪いが今は興味無いんだ。」
知り過ぎる程知っている、女にしては少し低めの凛とした声。
静かで穏やかだが、強い口調。
今まで共に旅をして来た、女の声だ。

とは言っても、あの娘には女として映って居ないのだろうが。

「だったら良いじゃない。 別に結婚して一生2人で居ようって
言ってる訳じゃないのよ?」
娘は、ファリスの前半の言葉のみしか聞いていないのだろうか。
多分、彼女が最も伝えたかったであろう、”興味無い”という
語句は気にも留めていない。

「やめとけよ、俺みたいなのと付き合ったってつまんないぜ。
あんただったら、付き合いたがる男が他に山ほどいるだろ?」
「あら、女の子を振る時にそういう事言う男って、ずるいと思うわ」
「そうか、だったらこんなずるい男と付き合う気なんて無くなったろ」
「ふふ、あなたのそういうとこ、やっぱり好き」

押しの強い娘の話し振りに、ファリスの返答がストップした。
あいつなりに、娘を傷付けずに断る方法を必死で探しているのだろう。
でなきゃ、女である事を打ち明けてしまえば良いだけの事だ。

「あんたさ、俺と会ってからまだそんなに経ってないだろ?
俺がどんな男か知ってるのか?」
ファリスの口調が、少し変わった。 馴染みのある口調だ。
ファリスのこういう口調は良く聞く。
相変わらず静かだが、相手の精神を押さえつけるような、独特の迫力がある。 
        
なるほど、怖い男だと思わせる作戦か。

「知らない。」
ファリスの様子の変化に、ほんの少し沈黙していたが、
すぐに、いつもの調子で娘が答える。
     
「だったら止めておくんだな。あんたに俺の女なんか出来っこねぇよ」
「どうして分かるの? あなたは、私がどんな女だか知ってるの?」

再びストップする、ファリスの返答。

「男と女なんて、付き合ってみなきゃ何も分からないのよ。
付き合ってから結論を出したって、遅く無いと思わない?」

たいした娘だ。
ファリスの返答停止期間は、まだ続いている。
いっその事、ファリスを助ける為に何食わぬ顔で出て行ってやろうかと思ったが、
そうしたら俺が盗み聞きしていた事がバレバレだ。
あ、いや、盗み聞きではない。俺は昼寝をしているだけだった。

「分かったわよ、もうそんな困った顔しないで」
笑いを含んだ娘の声。
「すぐ返事しろなんて言わないから、良く考えておいて。ね?」
「考えたって、俺は付き合う気なんか無い」
「もう、すぐ返事しないで、ちょっと考えてみてってば!」

ガサガサと、衣擦れの音が聞こえた。娘が立ち上がったのだろう。
「じゃあね」
明るい声と共に、娘が遠ざかっていく気配を感じた。


 
しばしの沈黙の後、ファリスの大きな溜め息

「いつまでそこに居る気だ? バッツ」
        
突如、自分に向けられた呼びかけに、ヒヤッとする。
「別に、盗み聞きしてたわけじゃないぞ。俺の方が先に・・」
「分かったから、さっさと出て来い」
地面に寝転んだままの状態で言葉を返した俺に、ファリスが命じる。

「俺は最初からここに居たんだ。お前らが後から来たんだからな。」
体に付いた木の葉を払いながら、あまり好意的でない視線を向ける
ファリスに言う。

「別に、何も言ってねぇだろ」
草の上にごろりと寝転んだファリスの近くに、俺も足を投げ出した。
      
「どうすんだ?あの子」
俺の問いかけに対する、ファリスの返答は無い。
代わりに、げんなりした目が、わずかにこちらを向いた。
         
「ホントの事言っちまった方が良いんじゃないか?」
「言えるかよ、今更」
「そんな事言ってられねぇだろ。 何言ったって諦めそうに無いぜ、あの子」        
「・・あぁ」

心底困った声で、曖昧な返事をするファリスを見る。 
以前の彼女なら、こんな困った様子を俺に見せる事など無かった。
”お前には関係無いだろ”と、淡々と言われておしまいだっただろうに。

本当に悩むべき状況に置かれた彼女には悪いが、何と無く嬉しい。          
         
「何だ?」
「いや、何でも・・」
不審そうな視線を向けられ、ファリスから視線を逸らした。
         
「もういっそ付き合ってみたらどうだ?」
冗談のつもりで言った俺の言葉に、ファリスが真面目な顔で黙り込んだ。
「おい、考え込むなよ、冗談だよ。」
不安になって、慌てて自分の言った言葉を打ち消す。

「そうだな、ちょっと付き合ってみりゃあの子も納得するよな?」
相変わらずの真面目顔で、ファリスがそんな事を言い出した。

「何考えてんだ、駄目に決まってんだろ!」
思わず出た言葉は、不自然な程ファリスの意見を頭から否定する、強い口調の言葉。
案の定、ファリスは驚きと少々の怒りを含んだ表情で、
以外な反応を示した俺を見つめた。

しまった、と、今更後悔したって、遅すぎる。

「何でお前に駄目とか言われなきゃならねぇんだよ」
「つい、勢いで言っちまっただけだろ? 悪かったよ」
ファリスの怒りが膨れ上がる前に、即座に謝った方が良い。
俺の下手な態度に、ファリスの表情から怒りの色が消えた。
                  
「何いきなり怒ってんだ。あの子にやきもちでも焼いてんのか?」
「ばっ・・! 誰が女なんかにやきもち焼くか!」
ファリスから出た、まんざら当たっていない事も無い言葉に、
つい再び口調が強くなる。
あんなファリスの言葉、冗談に決まってるのに。
ちょっと遅すぎた、冷静な判断。
         
「何だ、そりゃ」
空を向いていたファリスが、再び少々の驚きを含んだ表情で、俺を見つめる。
意外そうな彼女の顔の原因が分からず、無言でファリスの顔を眺めた。

「男だったら焼くのか?」
空に目線を戻した彼女が、すこしからかいを含ませて言う。
         
今さっきよりも大きな、”しまった”という気持ちと、
彼女に対して抱いている曖昧な感情に、頭が支配された。

俺の沈黙の為に発生した無音状態。
わずかな時間に、とてつもなく多くの事を考えたように思うのに、
何一つ、はっきりと形になったものは無い。
         
「バカ、冗談だよ」
彼女の目に、俺はどんな風に映っていたのだろうか。
無音状態が10秒程経過した後、ファリスはそう言い放つと、
2人に流れる妙な雰囲気を破るように勢いよく起き上がった。

そのまま立ち上がろうとした彼女の腕を反射的に掴む。

「・・男だったら、焼く」
怒ったように、荒くなった自分の口調に、違和感を感じた。
         
少し大きめに開かれた目で、俺を凝視していたファリスだったが、
やがて視線を俺が掴んでいる腕に移すと、離せと言いたげに、
軽く腕を引く。
本気で嫌な時に、こんな蚊も殺せぬような力を使うような、
遠慮勝ちな奴では無い。

ファリスの、その肯定にも取れる抵抗に反するように、
掴んでいた腕を自分の方に引き寄せた。         
いきなりの俺の動作に、ファリスがこちらを睨みつける。
至近距離にある、見慣れた彼女の顔。

そのままの勢いで、不機嫌そうに結ばれた唇に、
自分の唇を重ねてやった。

驚いたように、ファリスの体が強張った。

突き飛ばすでも無く、軽い圧力をかけて俺の胸に置かれていた
彼女の手が、そっと俺の首に回された。
心臓が、大きく脈打つ。

不意に、ファリスの顔が離された。
何と無く拍子抜けを食らったような気持ちで目の前の顔を見ると、
以外に、ファリスは俺の方を見ていない。
俺の遥か後ろの方を見るファリスの視線を追って、後ろを振り返る。

「あ・・っ、あの、ごめんなさい。今日ね、夕飯の時間が30分遅れるって、
さっき言い忘れちゃって・・」

見覚えのある少女が、顔を引き攣らせてぎこちなく笑った。
高めのよく通る声。しかし、その口調にいつもの歯切れの良さは無い。

この少女の見た光景・彼女の持つ、ファリスの性別の認識。
俺の頭は、瞬く間に、少女が自分に抱いたであろうイメージを予測した。
        
掴んでいたファリスの腕を、危険物のように即座に投げ捨て、
慌てて立ち上がる。
         
「違うぞ! こいつは・・」
「いいの!! あたしそういうの気にしないから! 」
俺の行動を制するように、両手を前に突き出しながら、
少女が大きな声で半ば叫ぶように言った。

「ごめんね、ファリス。そんなの知らないで、無理言っちゃって。」
「なぁ、聞け・・」
「ああ。こっちこそ悪かったな。最初からはっきり言えば良かったんだ。」
          
誤解を解く上で、味方だとばかり思っていた奴の口から、
全く予想外な言葉が出て、俺はファリスを凝視する。
俺と目が合うと、碧の目を少し萎ませた。
”余計な事を言うな” そう言っているのだろう。  

「ううん! そんな事、他人には言いにくいもんね。でも、
あたしは別に良いと思うの! 好きなら、しょうがないと思うし」
「おい、こいつな、実は・・っ!」
先ほどのサインを無視して、尚も真実を告げようとすると、
今度は目でなく、ファリスの手が俺にサインを送った。
音も無く俺のふくらはぎにめり込む彼女の指が、再度沈黙を指示する。

「じゃあ! あたし仕事あるから、行くね!」
取って付けたような明るい口調と笑顔。
方向転換すると、逃げるように少女がその場を立ち去った。
         
 
         
去って行く少女の足音と、小鳥の鳴き声だけが辺りに響く。
     
「あの娘がいたの、知ってたのか?」
足音が遠くに消えると、ファリスに問う。
「お前、知らなかったのか?」
地面に座ったまま、ファリスがこちらを見上げた。
そのしれっとした顔に、力が抜ける。

「このバカ・・」
呟きながら、土の上にドサリとあぐらをかいた。
「サンキュ、お前のおかげで、すげーいい口実が出来たよ」
「うるせぇよ」
頭を垂れて、力なく言葉を返す。

「別にいいだろ? あの様子だと言いふらしもしねぇよ、あの娘」
パシンと、ファリスが軽く俺の背中を叩いた。

確かに、誤解された事も、俺の落ち込みの原因だ。
でも、原因はもう一つ有る。

「あの娘が居なかったら、」
頭を上げる。あえてファリスの顔を見ずに、言葉を続けた。
「さっき、俺をぶん殴ってたのか?」

                  
「んなもん、今聞かれても分かるか。 実際、さっきは居たんだし」
数秒の間の後に、何かを誤魔化すように、不機嫌そうに言われる。
妙な理由で、あやふやにされた答え。


ふと、答えを知る方法を思いついた。

ファリスの口から聞き出すよりも、
もっと簡単で、確実な方法。 

辺りを、ぐるりと見回す。
遥か遠くで遊んでいる子供達の他は、人間は確認出来ない。 
                           
「誰も、居ないな」                 
「・・何?」 

俺の呟きがよく聞こえなかったのか、ファリスが聞き返す。        
答えずに、彼女の腕を掴んで引き寄せた。
         
ファリスの唇から俺の唇に、声にならない振動だけが伝わる。
掴んでいる腕が、少し強張った。



殴られる衝撃は感じない。

ファリスの手が、俺のシャツのはしを、遠慮がちに握った。 
         



ほも疑惑話、一度書いてみたかった。

 



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