モルヒネ





俺の周りは、鳥肌が立つ位に懐かしい匂いで満たされていた。

死を目前に突きつけられた人間が放つ空気の、匂い。


俺を組み敷いていた男の、腹の底から出たような音が、
口から途切れ途切れに聞こえる。
悲鳴でも、うめきでもない、ただそれは、体から無意識に出た音と、
恐怖が混ざり合った声。

俺の鎖骨のあたりに入り込んでいた手が、力なくずるずると滑る。
その感触に顔をしかめて、俺は力まかせに、視界を覆っている人間を
蹴っ飛ばした。


何の抵抗も無く転がった男の向こうに、もう一人の男が顔を強張らせて立ちすくんでいた。
腹に剣をつき刺したまま倒れた仲間に近寄りもせず、
顔色のわるい顔でこちらをただ見つめている。

腐っても海賊だ。わかっているんだろう。
目を逸らせば次の一瞬で、自分がどうなるか。
大層な剣を震えた手で握り締めて、

「俺は・・こいつに無理矢理さそわれたんだ・・俺はこんな事、嫌だって」

ガチガチと、定まらない声で、何か言ってる。
音としてしか、俺の頭に入ってこない。

間合いを詰めるのには、大した苦労は必要無かった。

最初の狙いは、相手が持っている剣。
反射的に剣を振り回そうとした相手の懐に入ると、
慣れた感覚に乗せて相手の腕を掴み上げる。

身を低くした俺の目の前に落ちた剣を掴んで、見上げたら、
男の声がかすれたように途切れた。

「何だって?」

俺の問いかけに、また何か言ってる。 悪ぃ、やっぱり、解らない。


「何言ってるか、わかんねぇよ」


頭と体が、バラバラに動いてるみたいだ。

俺の腕は勝手に、目の前の戦意を失った人間の急所を、
ただ真っ直ぐに、純粋に突いて、
そこで仕事が終わったように、やっと腕の意思が開放される。

さっきの男とは違い、今度は、急所にヒットしたらしい。
男の顔に意思は無く、アゴをガタガタ震わせて、
見開いた目には恐怖もみられない。

さっき転がした男が、床でうごめいていた。

寝返りをうつように、俺の方に振り返って、
目が合った途端に。もう乏しい表情が、それでも、凍りつくのが解る。

刺さったまま握っていた剣を、引き抜く。
剣によってせき止められていた血液が、一気に飛び散って、
俺の服や頬を汚した。

暖かい液体が、程なく空気に触れて、ひんやりと、
俺の頬を冷やす。

床を這う男に近づく。俺の足音に、男の動きが止まった。

呼吸の音がおかしい。水を含んでいるようなおかしな呼吸で、
血と一緒に空気を吐きながら、それでも、
男は必死に息をしている。苦しそうだった。

「楽にしてやるよ」

独り言のように言った俺の言葉に、男は抵抗を見せる気配は無かった。

不自然な格好で苦しそうに寝そべって、こちらを見つめる目。
魔物や獣には無い、あまりに濃厚な、むき出しの感情が、
その目には映っていた。

恐怖、恨み、苦しみ、そして、悲しみ。

ためらう気持ちは無かった、どんなに探したって。
俺の中に、そんな気持ちが生まれる事は無かった。


思い出した感覚。

思い出して、気づいた、忘れてた事に。
かわってしまってた、事に。


男の横に膝をついて、剣を勢いよく、男の喉仏に振り下ろした。
全身を包むあの匂い、温かさが、すうっと冷たさに変わる血の感触。

坂道を転げ落ちるように、戻っていく感覚。


突然、名前を呼ばれて、周りの空気ががらりと変わる。
目の前の死体から顔を上げたら、

何時の間にか、部屋のドアが開いていた。
開いたドアの向こうに立ちすくんでいる人間が、俺の名前をもう一度呼ぶ。

さっきまで歪んだようにいびつだった辺りの様子が、急激にくっきりとした。


「バッツ」

ぽつりと、呼びかけた声が、自分の声なのに、
こだましているように余所余所しく感じられた。

バッツは何かを話そうとしているように見えたけれど、
目にはあまり余裕が見られない。

「おかしらっ!大丈夫で・・」

後からかけつけた仲間が、部屋の惨事をみて顔をしかめた。
俺が掃除の大変な殺し方をしたせいだろう。

「怪我はありませんか? おい!タオルありったけ持ってこい!」

すぐに俺に言葉をかけなおして、後から来た仲間に指示をする。

「いいよ、シャワー浴びてくる」
「そうですね・・こりゃぁ、タオルじゃちょっと」

数人の仲間があつまって、さっき俺が始末した人間の顔を、
足先で上に向けながら確認している。

「こいつらか、やっぱりやりやがったな」
「オレが最初に信用できねぇって言ったんだぜ」
「嘘つくな、俺の方が先だ!」

そんな会話をしながら、軽く笑っている二人。

掃除が大変だと、俺に笑いながら文句をいう仲間。

和やかなこの空気に、一人、取り残されて、
バッツはまだドアの入り口に立ったままだった。


「バッツの奴が最初に気づいたんです、おかしらが居ないって」

お手柄じゃねえか、と、バッツは少し乱暴に肩を叩かれて、
よろめきそうになりながらも、我に返ったように仲間の顔を見た。

「お手柄もなにも、助けなんて必要無かったな」

何でもないようにそう言って、まるで、スイッチが切り替わったように、
からりとした声色で笑ったバッツと、
さっさと片付けられていく、さっきまで人間だったものと、
全てが、はっきりと現実的に俺の目に映る。

その様子に、違和感を感じながら、とりあえず、
顔についた液体を、仲間に手渡されたタオルで拭った。

ねっとりと、もう既に固まりかけた血は、しつこく、
俺の頬にへばりついて、簡単に離れようとしない。
気持ちが悪かった。慣れている筈のその感触が、
今はたまらなく気持ちが悪い。

バッツは、いつもよりよく笑っている。
どんどんその笑顔を顔に積み上げて、一番下にある感情を、
みえないように埋めてしまおうとするように。


俺の解釈は、間違ってるか?

みんなの中におかしな位に馴染んだバッツに、
心の中だけで問いかけてみる。

だんだんと、色々な感覚がもとに戻り出した。
もとに、もどる。 一体、俺の感覚が戻る場所は何処だろう。
おかしいのがどちらの感覚なのか、解らなかった、とにかく、

これ以上、こんなバッツを見たくなかった。


「シャワー、あびてくる」

言って、部屋の出口に向かった、通り過ぎ様に、
バッツの腕を掴んで、一緒に部屋を出る。

何も言わずに、引っ張られるまま、バッツが俺の後に続いた

「バッツ!こいつらの二の舞になるんじゃねーぞ」

どっと起こった仲間達の笑いに、反射的に振り向いたら、
バッツの顔は笑っていなかった。

俺と目が合って、驚いたように、笑顔を作る。
上手く滑らかに笑えていない、ひきつった笑顔。

「冗談じゃねぇよ!誰が手なんか出すかよ」

仲間に向かって、笑い混じりに言ったバッツは、
今度は上手く笑えたのだろうか。



「お前、ひっでー格好だな、早くシャワー浴びてこいよ」

自室の部屋に入ると、何事も無かったように、
バッツはその辺の椅子に我が物顔で腰掛けて、俺に声をかける。

「ホントにとんでもない女だな、武器も持ってなかったってのに」

バッツは、よく喋った。いつもよりもやたらと話をする。
黙っているのが、怖いみたいに、ただ、
何時もどおりの声色で、俺に話かけ続ける。


「バッツ」

まだ、何か言いかけていたバッツの声を制して、呼びかける。

「何だ?」

穏やかで、いつもと何も変わらない声。
いつもとかわらない?

その事自体が不自然だった。こんな状況で、こんなにも、穏やかな。

「バッツ」

「だから、何だよ」

振り返ったバッツの目を、見つめた。ただただ、じっと。


「俺を見ろ」


目を少しでもそらしたら、何もかも終わる気がした。
一気にバラバラに崩れてしまいそうな。

「見てるよ」

「ちゃんと、見ろよ」

戸惑ったように、怪訝な顔で、バッツが体ごと俺に向き直った。


「俺がこわいか?」


瞬きをするのもためらう位に、バッツを見た。
バッツの顔から穏やかな空気がすぅっと引いていくのを、
目を逸らさずに、見届ける。


崩れてしまうのは、誰だ?


バッツが何ともいえない顔で、首を激しく横に振った。
ただ、苦しそうな印象だけが目に残る。

「ふっ。くくく・・」

意識しないままに、俺は笑った。

バッツの態度と返事のギャップが、おかしかった訳ではない。
だけどなぜか、笑いがこみ上げて止まらなかった。


こおりついたように、バッツは顔をしかめる。


「あっははは! 嘘つけ、どうみたってビビッてんじゃねぇか!」

体に響く自分の笑い声がとても遠く感じる。何もおかしくなんかなかった。
なのに、勝手にどんどん腹が笑いを吐き出す。
反射反応のように上下し続ける腹筋が痛い。苦しい。

もう休みたいのに止まらない。酷く苦しい。


そんな俺を見るバッツの目が、しだいに辛そうな色を帯びてくる
何か言いかけて、でもその唇から、音が出ることはなく、
歯をかみしめた音がちいさくきこえて。


腕を痛い位につかまれて、そのまま強く、
ただ強く、抱きしめられた。


手加減なしの強い力に締め付けられて、うでが痛い。


「なに・・やっ、てんだよ・・」

笑いは止まったものの、肺はまだ十分な空気を取り戻せずに、
荒くなった呼吸が、声の邪魔をして、滑らかに話せない。

「離せよ、服が汚れるぞ」

「いい」

苛立ちを含んだような声で、短い返事。

バッツの体に押し付けられた俺の衣服から、生臭い匂いが立ち込めて、
二人を包みこんで、このまま、バッツと同化してしまうような、
そんな感覚に陥る。

ふわりと漂った、どこか歪んだ幸福感と、


ぞっとするような危機感。


「・・・やめろよ」

言っても腕を緩めないバッツから抜け出そうと、
ばたつかせた腕は、すぐにつかまれて自由が利かなくなる。

見上げたバッツの表情に、怒りなのか、悲しみなのか、
よく解らない不穏なものが、きつく浮かんでいた。


思うように腕を動かせないまま、一方的に、
ぶつけるように重ねられた唇。

そのままかき乱すように乱暴に、深くなる口付けを、
引き剥がす事も出来ずに、ただ、流されるように受け入れる。



こいつと居ると、気持ちが良かった。

変わっていくのも、悪くはないのかもしれない、そんな風に、
考えてしまえばいいのか?

今だけを考えればいいのか?

変わってしまった後はどうなる?
また、一人になった時、俺は、


俺は、どうなる?


そうだ、崩れてしまうのは、きっと。



「離せよ」

唇を離して、俺の首筋に顔を埋めたバッツに、もう一度言った。
怖かった。理屈ではない恐怖心から逃げる為には、
ここから出ないといけない、そう、本能的に思った。

こうしてるのが心地良い程、目の前の存在が欲しくなればなる程、
その恐怖心は加速していく。

「バッツ、離せよ」

「たのむ・・」

バッツの声は、弱々しい。俺の肩を握り締めた手が、
少し震えていた。


「どこにもいくなよ」


耳の傍でないと聞こえないような、囁くような小さな声。

でも、その声に含まれた強い感情が、
解りたくもないのに、否応無しに伝わってくる。

恐る恐る、かすかに震えるバッツの肩に手を延ばしたら、


自分の手はもっと震えていた。


俺の髪に顔を押さえつけて、もう一度、バッツが言う。

「どこにも行くな」

一人に、するな。

声には出来ずに、バッツの肩を掴んで、手の震えをおさえた。



締め付けられる腕が、痛い。
掴んだ体が、暖かい。

それだけを、ただ、感じる事に専念する。

 
バッツの感触が、麻酔のように何もかもを麻痺させて、俺の思考を愚かにする。
頭に散らかったまま、俺を睨み続けるもの達が、消える事はなくても。

引き換えに得た安らぎに、俺は目を閉じた。



なにも見えないように、わからなくていいように。









ラブラブ降りて来い〜って祈祷(何に)してたら、
降りてきた文(この子頭おかしいです)
バッツが情けなくてすみません。
とりあえずすみません!(もう謝っとけ!)

 
 


小説部屋に帰る