頬の温度



                 

ふんわりと、心地良い匂いが鼻先をくすぐった。
一面に広がる花々から立ち込める匂い。
               
人口的に作られた香りは、度が過ぎると悪臭にとって変わるが、
自然が生み出した、かなり強いこの香りは、
俺に苦痛を与える事は無い。
               
深呼吸ついでに、香りを吸い込む。
息を吐きながらしゃがんで、足元に無防備に寝転ぶ
人間を覗き込んだ。

「おーい、起きろ」

控えめな声のトーン。
起こした方が良いのか、このまま寝かせてやった方が良いのか。
心の迷いから、中途半端な大きさの俺の声。

ファリスは、そんな声には全く気付く様子は無い。
こちらの世界に戻ってくる気配無し。
ただただマイペースに睡眠状態を保つ。

木々の枝葉に太陽の光が遮られ、直射日光を避けたその場所は、
寝るにはたいそう気持ちが良さそうだ。

ファリスの横に、俺も足を投げ出した。
草の下から滲む、土のひんやりした温度が心地良い。

               
再び、ファリスの寝顔をチラリと見る。

つややかな赤紫色の髪と、みずみずしい緑色の草との、
鮮やかなコントラスト。
               
軽く閉じられた、綺麗に整った唇。自然な赤みを帯びた色合い。
閉じた瞼の淵から生える、柔らかそうな長いまつ毛。

               
初めてコレを見た、出会ったばかりだったあの頃と、
変わらない寝顔。
                                           
でも、あの時の寝顔は、もっと無機質だったような気がする。
まるで、キレイな彫刻の像でも見ているような。
                        
                       
同じなのに、明らかに何かが違う。
                             
 
どうして、俺の心臓は、こんなに軋んだように騒ぐのだろう。
               
あの時の、純粋で単純なときめきとは違う。
何か痛みを伴うような、奥からじわじわと湧き出るような。
               
時折、ほんの些細なファリスの言動や行動に反応して起動する、
苦しさと心地よさが混ざり合った、奇妙な感覚。

               
この感覚を、俺は知ってる。
知ってるけど、気のせいだ。

髪に隠れがちな、彫刻みたいにキレイな顔のせい。
突然見せる、以外な表情や、優しさのせい。
男の本能的なモノのせい。

理由なんて、腐る程考え付く。

相手がファリス以外の女でも、感じる筈だ。
俺でなくても、男なら誰だって感じる筈の感覚。

               
風が吹いた。
ざあぁっと、木々や花同士がぶつかり合う音。
動いた空気に乗って漂う、新鮮な花の匂い。
なめらかそうなファリスの頬に、木の葉が一枚、
ふわりと着地した。
                             
ファリスの眠りを妨げぬよう、
そうっと、木の葉に手を伸ばす。

指先に感じた、暖かい頬の温度。

               
この感情を、ちょっと開放してみようか。
そんな事が頭に浮かんだ。

顔を出す度に、胸の奥に押しやっていた感覚。
一度、完全に姿を現したら、全貌を見てしまったら、
もう取り返しが付かない気がして。
               
確信したら、2人の間の何かが崩れる気がして、
怖かった感覚。


空気に溶け込んだ花の匂い。眼下で無防備に眠る彼女。
指に触れる、頬の温かさ。

こんなシチュエーションのせいだろうか
頭の芯がじんじんして
制御装置が働かない。
               

小さな音を立てて、木の葉が、ファリスの頬から
滑り落ちた。
指に、微かに圧力をかけて、頬を撫ぜる。
さらりとして、暖かい感触。

               
親指が、柔らかな唇に触れた。
反射的に、体が動いた。

ファリスの唇の感触が、俺の唇の薄い皮膚越しに、
リアルに伝わる。
ふわりと漂う、心地よい彼女の髪の香り。

そっと、壊れ物にさわるような、
わずかに触れるだけのキス。

               
もう一度寝顔が見たくて、わずかに顔を離した。
鼻の先3センチの所に、彼女の顔がある。
この状況に、今ひとつ現実感が湧かない。


「・・ん・・」
ファリスの表情が動いた。

               
体の熱が、サッと冷えて、その後、一気に熱くなる。
 頭にかかったモヤモヤが、一瞬にして引く。

弾かれたように素早く、でも、音を立てないよう、慎重に
ファリスから離れた。

加熱する体。
響く鼓動がうるさい。
まるで、心臓の壁を、内側からドンドンと拳で叩かれているように。
               
飛び退いた体勢を、少し整えて
まるで、ずっと景色でも眺めていたかのように
遠くを見つめた。

俺の視線と逆方向に居るファリスが、
動いている気配がする。
               
いつも通りに、うまく言葉を交わせるだろうか。
           
唇が麻痺したように痺れている。
軽く触れただけなのに、唇に残る感触が妙に濃厚で
               
               
               
「・・バッツか」
寝起きっぽい彼女の声。               

いつもどおりに、普通に、
言葉を返せ。

呪文のように自分に命令する。


 
声が上ずらないように、震えないように
もう、胸の奥に押し込められそうに無いこの感覚が
せめて彼女には、悟られぬように

俺は、静かに深呼吸した。
                
               






小説らしい小説を書こう!と思って、
書いた覚えがありますが、今までと、
どの辺に違いがあるのか、自分でもサッパリ解らない!


 
 


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