Why?  2008.0107



とりわけ、嫌な事があった訳でもなかった。

見ないフリで押し込めていた苛立ちが突如心の中心に浮かび上がったのは、
少し飲みすぎた酒のせいか、それともイライラが酒をいつもより進ませたのか、

目の前で何か言いつつ、きつい視線を送る彼女を見ながら、
どちらであろうと、解らなくたってどうでもいいと思った。


手に持った酒の器をひったくられて、拍子にこぼれた酒が手にかかる。
冷たさに、少しぼんやりした意識が鮮明さを戻した気がした。

「何すんだよ」
「何回言わせんだ、しつこいぞ」

俺から奪った酒を、ファリスは煽って、一気に飲み干した。
テーブルに乱暴置かれた器が、がちんと軽い音をたてた。

「飲みすぎなんだよ!」

一文字一文字を投げ込むように、ゆっくり、強い口調で俺に言うと、
いっそう睨む目を強くする。

「立てよ」

俺の返答を聞きもせずに、ファリスは立ち上がると、俺の腕を引っ張って、
椅子から引き剥がした。

さっさと勘定を済ますファリスの背中をぼんやりながめた。
そこそこの量の酒を飲んでいる筈だけど、しゃんとして、
足取りには隙が無い。長い髪は無造作に流されているのに、
それだけで、酒場の明かりを反射させて綺麗に光る。

振り返った顔には、柔らかさも可愛らしさもない、
むしろ刺々しくて険しい色がみち溢れているというのに、


自分自身に問いたい、どうしてこいつなんだろう。


バチンと、親愛をこめてというには強すぎる力で、
ファリスに背中を叩かれた。

「歩け」

低く命令されて、痛みでまた少し鮮明になった頭で、
酒場の出入り口に足を向けた。

「乱暴な奴」

俺の小さな呟きは、ファリスに届いた筈が反応はない。
戸を開けると、外は酒場とは異世界のような、冷たくて澄んだ空気と闇。

先程まで自分達が居た空間から、楽しげな笑い声や罵倒の声が上がっていた。
小さくなってゆくそれを背中で聞きながら、歩く俺たちは無言のままだ。

すぐ傍の宿屋には、もう間もなく到着する。
二人っきりの時間はすぐ終わっちまうっていうのにな。
普通の女相手に考えるようなことをふと頭にうかべて、心の中で苦笑いをした。
飲んだ割には、頭は案外はっきりしている気がした。けれど、
歩けない程ではないがいつもよりも重心がぶれる。

腕を不意につかまれて、目を覚ましたように視界がはっきりした。
騒ぐ気持ちでファリスを見ると、うんざり顔と目が合う。

「ったく、めんどくせぇな、フラフラすんな」

本当に、こいつと居ると、格好の悪いことばかりだ。
期待した胸を叩きたい気分だった。忘れていた苛立ちを思い出した。

「面倒なら放っときゃいいだろ」
「あぁ!? 喧嘩売ってんのか?」

到着した宿屋に、俺の体を放り出すように手を乱暴に離して、
ファリスがこっちを睨みつけた。負けじとその目を見つめる。

「勝手にしろ」

呆れたようにファリスはため息をついて。俺を残して宿の中に姿を消した。

閉まった扉を、バカみたいに立ち尽くして、見つめる。
最近よく見舞われるこのいらつきは不安定だ。
爆発的にどうしようもなく腹が立ったかと思えば、
何かの拍子に急激に弱々しい苦しさに、変わる。

宿に入る気には何故かならなかった。もうしばらく、
この冷たい空気に晒されたい気分だ。空を見上げると。
三日月がちいさく空の中央に見えた。

「カッコ悪」

月に笑って、言ってみた所で、誰にも届かない呟き。
届かないからこそ、呟くと気が晴れる気がした。

突然戸が開く音がして驚いて体制を整える、誰かに見られたら、
宿屋の周りをうろつく不審者にしか見えない。
けれどそんな俺の心配は、取り越し苦労に終わった。

「早く入ってこい」

呆れた顔をさらにしかめてファリスが立っていた。

驚きで、言葉をうしないつつそんな彼女をみつめていたら、
つかつか歩み寄ってきたファリスに再び腕をつかまれた。

宿屋の中のほの明るい明かりにてらされる、ファリスの横顔を、
ぼんやり見つめながら、俺は一つ、息をついた。

「悪い」

心配をして、様子を伺っていたであろうファリスに、
先程のひねくれた態度に、感謝と詫びを兼ねた言葉を、
短く告げる、返事はなかったけれど。

「何かあったのか?」

表情を動かさないまま、小さめの声でファリスが言う。
他の宿泊客への配慮だろう。

「あんな無茶な飲み方、お前らしくない」

俺の部屋の前まで来て、二人足を止めた。

「言いたく無いならどーでもいいけど」
「どうでもいいって、ひでぇ」
「言いたいなら聞いてやる」

俺を見上げたファリスの目に、真剣さが宿る。

前髪から覗くその目は、切れ長だけど大きくて、
取り繕ったように迫力を滲ませ勝ちな普段の顔にはない、
すこしあどけなさのようなものを感じさせた。

こんなに見てたら不審がられる、解っているのに、
見ていたい衝動に勝てずに、うっかり動きをとめた。

「ちょっと、中入れろ」
「へ!? でもお前・・」

話を聞いて欲しい、俺の態度をそう解釈をしてくれた事は、
好都合だったけれど、思わぬ展開に声が上ずった。

「静かにしろ」

睨んで、ドアを開ける事を無言で促すファリスに、
押されるように鍵をあけた。

すぐに、滑り込むように部屋に入ったファリスは、
俺が戸を締めると、リラックスしたように深呼吸をした。

俺はというと、リラックスどころか、心が騒ぎっぱなしで、
落ち着けるはずもない。

時刻は真夜中に近い。静まり返った、ほんのり明かりが灯る薄暗い部屋。
ただ一人、こいつが居るだけで、部屋の空気は劇的に変わってしまう。
なのに、こいつにとっての空気は、普段と全く変わらないのだろう。

荷物を置いてあった一人がけの椅子に座るのを諦めたファリスが、
無造作にベットにどさりと腰掛けた。

振り回されて疲れきった心が、正しい判断を誤りそうだ。

「どういうつもりだよ」

俺の問いかけに、いぶかしげな顔をして、ファリスが首をかしげた。

「どういうって」
「酔った男の部屋に、夜更けに一人で来るなんて」

いぶかしげな色はそのままに、ファリスは、かしげた首を元にもどす、
じっと俺を見る様が、睨まれているように感じる。

「どういうつもりだって聞いてんだよ」

自分の声が、自分の声なのにやけに客観的だ。
思ったよりも、意識が酒に支配されているのかもしれない。
状況をぶち壊すような危機感と、少しの妙な期待感が、
胸に広がって息がつまった。

ふ、と、ファリスがおかしそうに、ちいさく声をだして笑った。
こみあげた怒りと、開き直ったような開放感で、心臓が大きく音を立てる。

「俺を襲おうってのか? 冗談・・」

ベットに手をついて、掴んだファリスの腕は、思ったよりも頼りなかった。
続きの言葉を、俺の唇で強引に塞がれたファリスは、
一瞬動きをとめたものの、すぐに我に返ったように、
俺の腕を痛いくらいに掴んで、遠ざけるように押される。

その力を自分の体重で押さえ込むように、
口付けを強くしながら後ろに押し倒すと、
拍子に離れた唇が、困惑と驚きに満ちた声を上げた。

「ちょ・・何、してんだ、てめぇ!!」

後半の声色に、戸惑いの色はない。
怒鳴り声と同時に、下半身に激しい衝撃が走って、
激痛に息が止まって、声もなく俺はうずくまった。

「頭、冷やせ!!」

みだれた呼吸をのみこむようにして怒鳴ったファリスの声を浴びながら、
鋭くかつ重い痛みが引くのを、ただ歯を食いしばって待った。

なんとか目を上げた時に、見えたのは、ドアの手前で、
赤い顔で、少し心配そうに振り返る、ファリスの顔。

目が合った俺を思い切り睨むと、きびすを返してファリスがドアの外に消えた。


時間帯もあっていささか手加減はしているものの、
乱暴に閉められたドアの音が、何時までも耳に残る。

落ち着いてきた痛みに、まだ少し眉をひそめながら、
すっかり酔いが醒めたように思える頭をくしゃりとかいた。

「なぁ、ホントに」

静まり返った部屋が、普段の静寂よりも静かに感じる。
そんな空間に、俺の自分への呼びかけが響いた。

「どうして、俺は」


どうしてお前が好きなんだろう。


声には出さずに、やけくそのようにベットに仰向けに転ぶと、
心から吐き出すようなため息を、一つ。
もう、待っても、さっきのように、ファリスが呆れ顔で、
そのドアを開ける事はきっと無い。


どうして。
その疑問の答えは、一つもないようにも、
腐るほどあるようにも思えた。




リハビリで何年ぶりかに書いたバツファリ。
色々うまくいかなかったものの、バッツの情けない感漂う仕上がりに、
私、相変わらずだってなんか嬉しかった(謎)



 
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