タイムトラベル 20090412



膝をかかえてうずくまっているように見える、彼女の格好は、
ひどく新鮮に俺の目に、彼女らしくなく映った。


綺麗に晴れた空、遮られることなく地上に注ぐ日光が、
梢を通してまばらに、ファリスの体を照らす。
よく見れば、長くまとわりつくドレスの裾を、
乱暴に巻きあげて、膝の上にまとめて抱える、その様子は、
俺のよく知るファリスっぽくて、すこし笑った。

「かくれんぼでもしてんのか?」

はじかれたように体を震わせて俺を見たファリスの、
隠し様のない驚き顔。俺の気配に、微塵も気がついていなかったらしい。

いくら、世界が平和になったって言っても、
しばらく、城暮らしが主になってるとは言っても、

「お前が気づかねーなんて・・」

らしくない、言いかけて、ファリスに嫌な思いをさせる気がしてやめる。
何か誤魔化す言葉を捜したものの、うまく口が動かなかった。

「他のもんに集中してただけだ。びっくりさせんな」

口にしなくても、俺の言いたいことが伝わってしまったらしい、
けれど特に何を思ったわけでも無さそうに、ファリスは軽く俺をにらんだ。

ファリスに、嫌な思いを・・。そうではなくてもしかしたら、
嫌なのは、俺自身だったのかもしれないけど。
とりとめのない思考に足をとられかけていた俺を、気にもとめず、
ファリスが、視線を地面に落とした。

「何見てるんだ?」
「落書き」

短い単語の返事。歩み寄って、俺もファリスの横に、同じようにしゃがみこむ。
ファリスの意外に細い、でも上品な衣服を身にまとう女にしては、ひどく角ばった手が、
地面に掘り込まれた記号をなぞった。

よく見ると、それはたどたどしく書かれた、文字のようだ。
周りを飾るように描かれた曲線は、幼い印象をうける、ぎこちない絵。

「さ・・」

つぶやいた俺の声に黙って耳をすますファリス。
返事は無かったけれど、穏やかな空気を放っているように柔らかい。

「り、さ」

最後の一文字は、きちんと読まなくても想像できた。
思わず見たファリスの顔があまりに、そうまるで、この名で呼ばれた日々に戻ったように、

子供のように嬉しそうで、言葉を無くした。

「書いた事、ぼんやりだけど覚えてる」

静かに言って再びファリスは落書きを見つめる。
同じように目をやると、さっきよりも文字らしく、
その記号ははっきりと俺の目に見えた。

「・・・懐かしいか?」

気の利いた言葉はちっともうかばない。あまりにありきたりな言葉を、
横を向いたまんまかけて、こっそり俺は苦笑いをうかべた。

返事は、しばらく無かった。違和感にファリスの顔をうかがう。

「懐かしい、か・・」

笑うこともしなければ、寂しそうともまた違う、
何だか不思議そうな顔をして、ファリスは呟くと、ため息をつく。

「ファリス?」
「こういうの見つける度にさ」

顔をあげたファリスがふと笑う。

「覚えてるとけっこう嬉しかったりするんだ」
「そりゃ、そうだろ」

笑いかけたものの、ファリスの笑顔には、どこか、
弱さが含まれているきがして、違和感が消えない。

「でも、残ってんのはモノばっかで・・・」

ファリスが言葉を詰まらせて、軽く笑い飛ばすような声をあげる、
その明るくも見える笑顔に、どんな顔をかえせばいいか、
俺はわからなかった。


「あの時笑ってたやつらは、居ないんだ」


ため息交じりの声に、暗さはなくて、たださりげなく、
淡々と響いた。

「俺一人、未来に放り出された気分で・・あーあ、もう」

立ち上がったファリスの足元に、ばさりと音をたてて、
長いドレスの裾が流れ落ちた。

「おかしな事言ったな。 忘れてくれ」


慌てて俺も立ち上がって、まっすぐ、ファリスを見た。
少し驚いた顔をしてから、ファリスが、ふと微笑をうかべた。

「別に辛いわけじゃない」

嘘があるようには思えない、真っ直ぐな声。
ファリスの言いたい事が、何となく解る気がした。

孤独だとか、そういった類とはまた違う寂しさは俺にも身に覚えがあった、
だけど少しも、うまい言葉が見つからず、

もどかしさに眉をしかめる。

「お前にはレナだって居るし」
「ああ、解ってるって」

見守るような顔をむけられて、益々もどかしさが増す、
思うことを伝えるのを諦めて、手放す直前に、

「俺だって居るだろ」

やけくそのように、付け加えた自分の言葉に、へんな汗が出た。

言わなけりゃ良かった。

纏まり悪く終わった台詞に、我ながらカッコ悪さがこみ上げる。
きょとんとしたファリスの顔からすぐに目をそらして、誤魔化すように笑った。

「あ、俺は、居なくていーか」

自分の笑い声がやけに客観的にぎこちなく、響く。
一緒に笑ってくれりゃいいのに、ファリスの声は聞こえない。
大げさなくらいに嫌そうな顔で睨んでみせて、照れ隠しに、
さらに無表情なファリスに言葉をかける。

「なんだよ、嘘でもそんなことないとか言えよ」

やっと、ほんの少しだけ、ファリスが笑った。
威勢の無いその様子に、俺の狂ったリズムは中々元に戻らない。

空を大きな雲が横切る。その動きに合わせて、ファリスの体を影が支配していく。 
不意に、ファリスの表情が陰った気がした。


「居てくれ」

聞きなれた声が紡いだその言葉は、
短すぎて唐突すぎて、すぐに頭に入ってこなかった。


「そう言えば、傍に居てくれるのか?」

真っ直ぐに向けられたファリスの目は、子供のように強引で純粋。
予想に反する言葉に混乱した頭に、その雰囲気だけが鮮明に映る。
何と答えれば良いか解らなかった、そんな自分が腹立たしくて、

心底、眉をしかめる。


不意にファリスが、いつもの顔で笑う。
身を包む空気が、がらりと軽くなって、拍子抜けしたように、
俺は思わず呆けた顔で、にやつくファリスに見入った。

「嘘だよ」
「へ?」
「嘘。 お前が言ったんだろ?嘘でもいいからって」

笑い声を押し殺しながら楽しそうにそう言ったファリスを、
俺は今度はいささか本気で睨んだ。

「からかいやがったな!」
「怒ることねぇだろ」

わざとらしく、首をかしげた子憎たらしいファリスの様子。
彼女の耳元で、シャラリと、イヤリングが軽やかな音をたてた。


「嘘で、安心したろ?」

さっきからずっと、変わっていない筈のファリスの笑顔が寂しげに見えたのは、
賑やかさの引いた静かな声色のせいだろうか。

よく確認する前に、背をむけられる。その離れていく背中をしばし眺めたあと、
我に返って、

「ファリス!」

慌てて呼び止めた俺の声に、なんだよ、と振り向いた時は、
もう、ファリスはいつもと何の変わりも無い様子で、
確かにさっき見た気がする弱さは、その不敵にも思える雰囲気に守られて、
すっかりその姿を消していた。

「用が無いなら、行くぞ」

いぶかしげな顔でため息をついて、再び背中をむけると、
歩きながら、ファリスは大きく伸びをした。

真っ直ぐ伸びた背筋はどこまでもたくましく揺るぎが無い、けれど。

「ファリス」

小走りに追いかけて隣に並んで、名を呼んだものの、
言う事が決まった訳じゃなかった。
さっきから何だと言いたげな顔を受け止めて、でも、
言いたい気持ちは言葉にならずに、仕方がないから、

恥かしさを吹き飛ばすように無造作に、
ファリスの頭を、がしがし撫ぜた。指に髪が絡んで、
キレイに結われた髪の線が、数箇所歪む。

「うわ! バカ、お前何やって・・!」

俺の手の下で、目を丸くしてファリスが俺を見上げた。
手を止めてじっとすれば、ファリスの温度を、掌に感じた。
何も言わずに、きつく見上げる目をじっと見つめ返して、
奥に揺れるファリスの気持ちを探す。

鋭いまま、下に逸れたファリスの目線。


「居なくていい」

さっきよりずっと、細い声が、静かな広場に響いて消える。


頭で考えるより前に、引寄せてしまったファリスの髪から、高価そうな何かの匂い。
抵抗も、寄りかかることもせずに、ファリスは自分の重心を崩さない。

「居なくていい」
二度目の言葉は、はっきり真っ直ぐ響いた。


そっと俺の腕から抜け出して、少し離れたところから俺に笑いかける、
キレイな笑顔を俺は、ただ見つめるしかできなかった。

動けなかった自分を、いつか後悔する日が来るような気がして、
危機感に体が静かに冷える。

そんな俺を気にもしないような、涼しい顔で、
十数年という、長すぎる時を経て、やっと家に帰り着いた少女は、
時間のひずみを一身にうけて、重たそうにドレスの裾を直すと、
乱れた髪を適当に撫ぜつけて、もう一度。


今度は、ひどく逞しく、笑った。




明るい話にしたかったのですが、どうしようも、
どうしようもなくてさ・・。ねぇ(何)








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