俺の船を見たどこぞの海賊の頭が、慌てて舵取りに撤退を命じた。

”あたりめぇだ、俺たちに適う奴4なんてこの世に居るもんか。なぁ、お頭”
馴染みの海賊仲間が笑いかける。

髪を一本残らず後ろに流す、強い風。
聞きなれた、シルドラが前足で悠々と水をかく、涼しげな音。
水は澄んでいて、すっぽりと海に浸かっているシルドラの姿が、
しっかりと確認できる。

何も足らないものなど、ありはしないのに。
何だろう? 何かがおかしい。
心にじわじわと広がっていく、正体不明の不安感。

何もかも満たされている筈なのに、何かを探す。
俺の様子に気づく仲間は、一人も居ない。
何を探そうとしているのか分からない。なのに、怖くて仕方が無い。

必死に、何かを探していた。




ゆっくりと目を覚ますと、カーテンの隙間から漏れる月明かりに照らされた
部屋の様子が、ぼやけて見えた。
素肌に直接触れるシーツの感触に、現実感を感じる。
まだ、頭が夢から抜け切っていないのだろうか。
胸に残る不安感に突き動かされるように、隣に居る筈の姿を確認する為、
寝返りを打った。ぽっかりと空いた、ベットの空白が目に入る。

体を起こし、ぼんやりとそのスペースを見つめた。
夢の中でも感じた不安感と恐怖が、静かに、じりじりと強まっていく。

「バッツ・・・?」
その空白に居るべき男の名前を、恐る恐る口に出す。

「はい?」
聞きなれた声が、背後から聞こえた。
振り返ると、開いたドアの向こうに人影が確認できる。
ついさっきまで胸を支配していた負の感情、嘘のように消えた。
同時に、ぼんやりとしていた意識が、段々と覚醒してくる。

「なんだよ」
ドアを後ろ手でそっと閉めながら、バッツが問いかけた。
「何でもねぇ、寝惚けただけだ」
言葉を返しながら、起こした体を再びベットに横たえた。
言い訳ではない。本当に俺は寝惚けていたのだろう。
でなきゃ、こんな事で恐怖を感じる筈が無い。

バッツは特に気にした様子も無く、ふうんと呟きながら、
ベットに這い上がって来た。
小さな揺れを体に感じながら、俺は部屋の天井をただ見つめていた。

さっきまで見たくて仕方が無かったバッツの姿が、隣に在る。
何となく、素直にそちらに目を向ける気になれない。
ふいに、バッツは俺の顔を覗き込んだ。

「どうした・・?」
「だから、寝惚けただけだって言ってんだろ」
俺の再度の返答が終わるよりも早く、バッツの手が俺の頬を拭う。
バッツの指の感触に加わって、ひんやりとものが頬に触れた。
その感触が何であるか、すぐに理解する。

「泣いてるぜ、お前。 怖い夢でも見たのか?」
俺の頬に手を当てたまま、まるで子供をなだめるような目で、
バッツが静かに尋ねた。

懐かしい夢を見た。
ガキの頃、何度も同じような夢を見た。
自分の単純さが嫌になるが、いつも同じようなパターンだった。
自分の船を見て、逃げるように離れていく他の海賊の輩の船。
その様子を見て満足げに笑う仲間達と、優雅に船を引く、
今はもう居ないシルドラの姿。

久しぶりに見たあの夢。
前と、違っていたのは・・。

「世界一の海賊になる夢」
俺の答えを聞いて、バッツが予想外な表情を浮かべる。
だったら何で泣いているんだと言いたいんだろう。
バッツの、何か言いたげな顔から目を逸らして、
さっきとは反対側に寝返りを打った。

「寝るぞ」
背を向けたまま、一言、そう言う。
涙の理由を言いたくない、という意思表示。
多分、これ以上、バッツが俺に何か問う事は無いだろう。
バッツが無理に人のプライバシーに侵入しようとしない事は、
良く知ってる。

涙の理由を言いたくないなら、あんな返答をしなければいいのに。
怖い夢を見た、そう言っておけば、それで良かったのに。
どうして、バッツの関心を引くような言葉を返したのか。
俺は、まだ寝惚けているんだろうか。

ばさりと、頭に何かが被さった。
「何すんだよ」
視界を塞いでいる布を掴み取りながら、
それを俺に被せたであろう男の方を振り向いた。
「寝るなら服着てからにしろよ、風邪引くぞ」
自分の手に捕まれた寝間着を見る。
バッツは、シャツのボタンはきちんと閉じられて居ないものの、
既に人に見られても支障の無い格好だ。
自分だけがこんな姿だと、ひどく間抜けに思えてくる。

「別に、寝る気が無いならそのままでも良いけどさ」
服を着る為に体を起こしかけた俺の腕を掴みながら、
バッツが上に覆いかぶさって、息のかかる程近くでからかうように呟いた。

「な・・っ、退けよバカ!」
慌ててバッツの胸を押して顔を遠ざけ、額を手の甲で叩いてやる。
思ったより大きく、歯切れの良い音が、部屋に響いた。

「ってぇ・・思いっきり叩くか? 普通」
額を押さえてこちらを恨めしそうに見るバッツを無視して、
体を起こすと、服に袖を通す。

「何焦ってんだよ、今更、変な奴だな」
「うるせぇな! さっさと寝ろ!」
今更という言葉に反応して、体温が顔に集中しているのが分かる。
どうせ暗くてみえないだろうが、顔色の変化を見られぬように、
それとなくバッツから顔を背け、ボタンをかける作業に専念した。

「なぁ・・」
バッツの呼びかけに、ベットに寝転びながら無言で顔をそちらに向けた。
赤かったであろう顔の色も、もう元に戻ったのだろう。
さっきまでの熱は感じられない。
「どんなもんだった? 世界一の海賊になった気分は」
両手を頭の下に敷いて、天井を見たまま、バッツが問う。

問いの真意は何だろう。
さっきの涙のことを、まだ気にしているのだろうか。
理由を探っているのだとすれば、バッツにしては珍しい行動のように思える。
ただ、何気なく聞いただけなのかもしれない。
でも、妙にそっけないバッツの横顔が、かえって俺の目には怪しく映った。

「どんなって、世界一だぜ? 最高に決まってんだろ」
「ふーん・・」
じゃあ何で泣いてたんだ、と更に問われてもおかしくない流れだが、
バッツはそうしなかった。何となく予想していた反応ではあるが。

「お前、相変わらず頭やってたか?」
「当たり前だろ」

まるで全てを分かっていて、わざとこちらに口を合わせているような、
バッツの態度が、気にくわない。

「他の海賊どもが、みんなビビッて逃げちまうんだ。シルドラだって居たしな」
聞かれもしないのに、バッツに対抗するように、自分に言い聞かせるように、
ペラペラと、夢の内容を喋る。

「ほんとに、最高の夢だったぜ? もう一回見たい位だ」
「なぁ、俺は?」
突如話のペースが上がった俺を黙って見つめていたバッツが、
ポツリと口を開いた。

「は・・?」
「だから、俺は、居なかったのかよ、その最高の夢の中に」

バッツの言葉に、一瞬、息が詰まった。

あの頃の夢と、何も違っちゃいなかった。
シルドラも、仲間達も。
バッツが居ない事も。

違っていたのは、俺だけだ。

「お前は、居るわけねぇだろ、海賊でも無い癖に何で・・」
動揺を隠しつつ、出来るだけ普通に言葉を返そうとしたが、
どうやらその試みは失敗に終わったようだ。
自分の声が、少々上ずっているのが分かる。

突然、バッツの腕が俺の頭を引き寄せた。
ぶつけるように口付けると、すぐ唇を離す。
「よし、寝るぞ」
そのまま、俺を、自分の体に押さえつけた。

脈絡の無いように思われるバッツの行動に、俺の頭は少々混乱した。
「おい・・鬱陶しいから離せよ」
嫌ではなかった。出来れば、このままで居たかった。
しかし、何も言わずにされるがままに従うのが、何だか悔しい。

「もう一回見ろよ、その夢」
俺の言った事を無視して、バッツがまた、脈絡の無い事を言い出す。

「次は、ちゃんと俺も出せよな」
子供のようなバッツの発言に、何となく気が抜けた。
意識していなかったが、今まで張り詰めていた何かが、
一気に緩んだ感じだ。

「海賊になる気か? 最初はこき使われてキツイぜ?」
「ああ、いいよ」
「へぇ、じゃあ雑用兼掃除係として雇ってやるよ」
「ああ、いいぜ、掃除係でも、何でもいいから・・」
ふざけ半分だったバッツの口調に、真剣味が帯び始めたのに気付き、
身を拘束されたまま、バッツの顔を見上げる。
俺に顔を見られるのを避けるように、バッツが俺の髪に顔を埋めた。

「絶対出せよ。 お前が呼んだら、すぐ駆けつけてやるから」

耳のすぐ傍で、バッツの声が響いた。
さっき、バッツの名を口にした事を、今頃思い出した。

こんな子供騙しな一言で、心を動かされるなんて、ガラにも無い。

「モップ持って駆けつけられても、カッコつかねぇよ」
ついつい、いつもの調子で憎まれ口を叩いている自分に少し呆れたが、
そうしないと、泣いてしまいそうな気分だった。

「うるさいな、良いからもう寝ろよ」
照れくさそうに言うバッツの背中に、そっと腕を回した。
目の前のシャツに頬を押し付けると、布越しに体温が伝わってくる。

「おやすみ」
言って、目を閉じた。

とてもじゃないが、俺には素直に言えそうにない気持ちは、
これで少しは伝わっただろうか。


「・・おやすみ」
バッツの声が、耳に篭って響く。
規則正しく聞こえる、心臓の音。全身に感じる、バッツの存在。

こんな状態じゃ、嫌でもこいつが夢に出てきそうだ。




パジャマの言い方に悩んだあげく、一番おかしな、
寝間着という言い方にしてしまい軽く後悔。

 
 


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