ずっと  2008.0623



朔とゆっくり話をしたのは、およそ一ヶ月ぶりだった。

長い期間、毎日顔をあわせて生活を共にしていたせいだろう、
空白の時間は一ヶ月しか経っていないとは思えぬ位に長く感じた。

お互いの生活や、一緒に居た頃の思い出話、
他の仲間についての情報交換で盛り上がって、
気がついたらもう、日に勢いがなくなってしまっている。

「一日が終わっちゃうね」
私の嘆くような声に、朔が可笑しそうに笑った。

「朔は寂しくないの?」
「寂しいけど、望美ったら、子供みたいなんだもの」
言われて、ふくらした頬を慌てて元に戻し、
あらためて二人で笑った。
またいつでも会えるね、と、確認しあって。


「送らなくても大丈夫?」
朔の言葉に、平気だと笑って、私はつま先を地面に打って、
靴に足をおさめる。日はすっかり赤くなっていた。

私と朔の間に、穏やかな沈黙が流れた。

「本当に良かった、あなたが幸せそうで」
そう言って、朔がきれいに微笑む。じんわり染み渡るような声。

「うん、幸せだよ」心から、朔にそう言った。
朔は、幸せ? 私には聞けなかった。

また会う事を何度も確認して、私は朔の家を後にした。


相変わらず穏やかで、朔と居ると優しい気持ちになる。
だから、忘れてしまいそうになるのだ。もしかしたら、
彼女が傷として胸に今だ抱えているかもしれない事を。

力になってあげたいけれど、その術がみつからない。

突然、大切な人が居なくなる。つい先刻まで当たり前に、
傍に居た人が消えてしまう。後には匂いさえ残さずに。

ただ、存在しなくなる。

どんな気持ちなのか、想像するだけで恐ろしかった。
昔、朔に直接話を聞いたあの頃よりも何倍も。
ずっと生々しく、その想像は私の心を震えさせる。
朔の力になりたいと思いながら、私は我侭だ。

考えないようにしていた。あの人に恋をしてから、ずっと。

市場から離れたその通りは静かで、人通りもまばらだった。
家屋から時々聞こえてくる幸せそうな笑い声、炊事の音。
とても暖かいのに、何故か私の心をそっと不安にさせる。

今朝、私を見送ってくれたあの人が、
ゆっくりしてくるといいって、微笑んでいたあの人が。
突然、存在自体が嘘だったように、無かった事のように。

消えてしまったら?


すれ違った行商のおじさんが、驚いたように、手に持った荷物を、
落とさないように抱きしめて、私を避けた。
めいいっぱい、地面を蹴って、私は全力で走っていた。
心のどこかでこんな自分が異常だと自覚している、でも、
小さなしみのようだった嫌な考えは、みるみる大きくなる、
それしか見えなくなる、歯をくいしばって、叫びたい衝動を抑えた。

家の玄関の戸を前にすると、今までの勢いが嘘のように、
私はすぐに戸を開けられなかった。
呼吸を整えようと、ゆっくりと息をしてそっと戸を引く。

廊下を歩く自分の足音がキシキシと、薄気味悪く聞こえた。

「神子?」

縁側に腰をかけて庭を眺めていたその人が振り返って、
荒い息の残る私の様子を見て驚いた顔をした。

「・・敦盛さんだ」

長い髪を後ろで束ねて、今朝見たままの姿で、
穏やかそうな目を今はすこし見開いて、

「どうした? 何かあったのか?」

不安そうに立ち上がろうと膝をついた敦盛さんを、
つかまえるように、思い切りしがみつく。
敦盛さんが、出しかけた声を飲み込むのが、
服ごしに伝わってきた。

顔を見なくても、戸惑っているのが振動で解る。
とても暖かかった。

「神子、何があった?」
「・・・何もないです」

そっと、ひどく柔らかいものでも触るように、
敦盛さんが私の背中をささえた。
ぎこちなく頭を撫ぜる手が、ただ優しくて、
安心したのに、私はいつの間にか泣いていた。

辛いことなんて、不安な事なんて、何もないのに。
どうして?

「ごめんなさい」
出した自分の声は、涙で滲んだみたいにふやけている。

「・・しばらく、こうしてるといい」
敦盛さんは何も聞かなかった。私の背中を、
遠慮がちに支えたまま。

「どうかしてるね」
「・・そうだな、どうかしている」

すこし間をおいた後、微笑むような声色の敦盛さんの返事に、
泣き顔のまま私は笑った。
笑って、飛びついたままになっていた自分の腕を、
まっすぐに整えて、敦盛さんを、抱きしめなおす。

「・・ずっと」

何も言わずに言葉の続きを待つ敦盛さんの腕は、
相変わらず、壊れ物を扱うよう。

「ずっと一緒に居てくれる?」

ひたと、私の頭を撫ぜる腕が止まる。とまった時間が、
とても長く思えた、無意識に敦盛さんを抱きしめる腕に、
力が入る。とても悲しくて不安だった。

敦盛さんの腕に、そっと、強く力がこもった。

「あぁ」

短すぎるその声から、それ以上の意味を読み取る事はできなかった。
でも私の不安だった心は、それで十分満たされたように暖かくなる。

それだけでよかった。 それ以上のものなどいらなかった。
見たくはなかった。


暖かい胸につけられた鎖が、ひやりと私のこめかみに当たる。
この位、どうって事はない。

どうか信じさせて。この温もりを守る事が、
あなたを守る事になるのだと。


あなたの幸せと私の幸せは、同じなのだと。どうか。



く・・暗い。

 
帰る