ありがとう  2008.0528



まだ越して月日が浅いにしたって、敦盛さんの部屋は、
きれい過ぎて、いつまでたっても生活感がない。

使われている形跡をあまり感じない、小さなキッチンで、
慣れた様子でお茶を入れようとする敦盛さんの後を、
慌てて追って、顔を覗き込んだ。

「今日は私が入れます」

大きくした目に、微笑みかけて言うと、すこし敦盛さんが首をかしげた。

「はいはい、敦盛さんは座って」
「え? あ…でも」
「いいから!」

強引にぐいぐい背中を押されて、戸惑いがちな顔で振り返る敦盛さんが、
諦めたように力を抜いて、ほんのり笑った。

「ありがとう、神子」
「いいえ」
「…あの、今日は、何かあったのか?」

振り向いて見下ろした敦盛さんの、ただ、不思議そうな顔に、
私は苦笑いを浮かべた。やっぱり覚えていない。

「ありました」

手元のティーカップに視線を戻して、背中で、
敦盛さんの気配をうかがった。
しばらくの沈黙のあと、再び敦盛さんの静かな声が沈黙を破る。

「そうか」

思わず振り返ったら、敦盛さんのちょっと困ったような顔。
私はため息をついて、お湯を注いだポットに蓋をしてから、
テーブル越しに、姿勢良く座る敦盛さんの前に座りこんだ。

「何があったのか、聞かないんですか?」
「いや…その、聞いてもいいだろうか」
「いいです」

さあ、どうぞと、言わんばかりに。私も敦盛さんと同じように姿勢を正す。
少し戸惑う様子を見せていた敦盛さんが、ふと穏やかに笑った。

「何があったんだ?」

遊びに付き合うような、優しい声色。 ちょっぴり子供扱いをされたようで、
気恥ずかしくなった。けれど、私は待ちかねたように敦盛さんに笑った。


「今日は私にとって、すごく嬉しい事があった記念日なんです」
「嬉しい事?」


こくんと頷いて、相変わらず困惑した様子の敦盛さんの、
テーブルの上に置かれた手に、そうっと触れた。
少しだけ強張ったあと、緩やかに、委ねるように、
敦盛さんの手から力が抜けた。

「覚えてないんですか?」
「え? わ、私も、関わりのある事だろうか」

途端に焦った様子を見せて、俯いて何か考え込む敦盛さんの目は、
不穏なくらいに真剣。

「神子…どうしても思い出せない。本当に、本当にすまない」
「あ、敦盛さん!いいんです、そういうんじゃなくて」

悲愴な面持ちで、しぼみきった声で詫びた敦盛さんに、
焦って言ったけれど、敦盛さんはうつむいた顔を上げる様子はない。

「神子と過ごした記憶を、忘れるなど…」

沈みきった敦盛さんの目は、私のことなど見てはいなかった。
申し訳なさでも何でもない、ただ一人、悔やむように揺れた目。

私はしばらく目が離せず見つめた後、締め付けられる自分の胸の感覚を伝えるように、
ぎゅっと、敦盛さんの手を握った。

「敦盛さんの、生まれた日です」

少し遅れて、弾かれるように敦盛さんが顔を上げて、
きょとんと、無防備な顔で私をみつめた。

「敦盛さんが、生まれてきてくれた日」

頬がしぜんに、くしゃくしゃになりそうな勢いで緩む。
嬉しくて、敦盛さんの固まったような驚き顔が、ただ愛おしくて。

なのに何故だか泣いてしまいそうな気分だった。


「ありがとう」


おめでとう、そう、言うつもりだったのに。

自然に出た自分の言葉は自分自身でも意外だったけれど、
きっと、おめでとうよりもずっと、ずっと、伝えたかった気持ち。


まっすぐに、私を見つめる敦盛さんが、声にならない何かを、
開放できずにあがくようにうつむいて、私の手を、
今までに無いような強さで、握り返す。

言葉を紡げない唇を閉じて、敦盛さんが、私に静かで深い笑顔を返した。


漂った柔らかすぎる静寂が、くすぐったくて、

「あのね、誕生日には」

とっさにかけた言葉は、焦ったように少しだけ不安定だったけれど、
穏やかな顔で続きの言葉を待つ敦盛さんに、不信に思った様子はない。

「贈り物をするのが、しきたり、なんだけど」

この世界の言葉を、なるだけ使わないように、
言い回しを選びながらゆっくり話す、私の説明を、じっと、
純粋に聞き入る敦盛さんに、すこし気まずさを感じながら、笑う。

「何がいいか、考えれば考える程こんがらがっちゃって、解らなくて」

苦笑いで見上げた敦盛さんの顔は、相変わらずの真っ直ぐさ。

「だから、これから一緒に買いにいきましょう」
「いや、いいんだ、もう、私は欲しいものなど」
「自分の誕生日に遠慮なんてしちゃいけないんですよ」

立ち上がりながら、繋いだ手を強引にひっぱる。

「神子!」

予想外に、その手は私の力に、石のように従わなかった。
少々強い呼びかけに、驚いて彼の顔を、ぽかんと見た。

「敦盛さん?」
「もう、私には十分だ」

膝で立つ私を追うように、身を乗り出しながら、ぎゅっと手を握られる。
私を見上げていた敦盛さんが、赤くなった頬を隠すように俯いた。

「だから…今日は、傍に居てくれないか」

小さく揺れた語尾が、すごい威力で、私の頬をも赤くした。
慌ててその場に、まるでへたりこむように、座る。

握り合った手が熱い。早い心臓の音の響きを感じながら、
見つめた敦盛さんの、髪の隙間からのぞいた耳が赤かった。


「今日限定なんて、いやです」

手を小さく引っ張ると、敦盛さんが赤い顔をしゃんと上げた。
視線を受け止めながら、その目から、彼の思いを捜す。


「これからも、傍にいさせてくれるなら・・」

いいですよ、という言葉は、そっと手を引かれて、
敦盛さんの気配に包まれた息苦しさに、喉につっかえて、止まる。


「…神子」

頭をなぜた、敦盛さんの手が、あまりに緩くて、少しものたりない。
どきどきと、早い心臓をもてあましながら、ぎゅっと敦盛さんの背中にしがみついた。


「有難う」

返されたお礼の声が甘く、私の体に響いた。





敦盛さんおめでとうございます。何かしそうで何もしない文になってしまった。



 
帰る