幸せは波のように  2008.0619



息を吸い込むと、それだけで喉が潤う気がする。

しっとりとした空気が辺りに満ちていた。
こんなに水分たっぷりの空気を吸っているんだ、
木々が青々として、元気そうなのは当然だろう。

良い所にお住まいですね、木々にそう話しかけたら、
何と答えてくれるんだろう、泰明さんなら解るだろうな、
そんな事を考えながら、私は訳も無く一人で笑った。

なんだか幸せだった。こんなにも普通のことなのに。
会えるかな、別に、久しぶりに会う訳じゃないけれど。

会えたらきっと、私はもっと幸せになる。

山を、中腹くらいまで登ったところで、
今まで上ってきた高さを再確認するように、
景色を見下ろして一休みする。
ぐんとミニサイズに縮小された京の町が、
頑張って登ってきた私を褒めるように広がっていた。

「神子、何をしている」
「わぁっ!」

突然の声にびっくりして、弾かれるように振り返った、
あまりに突然叶ってしまった、私の小さな願い。
足音にも気づかなかった。深い森の空気に馴染むように、
泰明さんは私を少し驚いた顔で眺めて立っていた。

「お仕事、終わったんですか?」
「神子の気配を感じて、山を降りてきた、どうしてここに居る?」
「泰明さんを迎えに行ってみようかなって思っただけなんですけど」

首をにわかにかしげた泰明さんの目が、困惑色いっぱいに私を見つめた。

「私には迎えなど要らぬ」

冷たい形をしたその言葉が、本当はさほど冷たい訳ではない事を、
私は知っていた。ただ、混じりっ気が無いだけなのだ。

シンプルな言葉しか使えないこの人はまた、
シンプルでない言葉を聞き取るのも、苦手。

「迎えに行くっていうのは、口実です」
「・・こうじつ?」
「あのね、泰明さん」

口実の意味が伝わらなかった事なんて、今は問題ではないのだ。
そんな事より、伝えたい事がある。簡単で何でもない事なのに、
なんだか言うのが恥かしい。

「会いたかったんです・・」

語尾が、ヒュルヒュルと小さく勢いがなくなってしまう、
余計にそれがみっともなく思えて、思わず目線を下に逸らせてしまった。

木の葉が擦れ合うざわざわした音が耳についた。
何ともいえない居心地だった。


「お前の気配を感じた時・・・」


止まったような空間が泰明さんの声で動き出す。
解き放たれたように、私は顔を上げた。

「一刻もはやく、お前の元に行かねばと思った」

一つひとつ、言い聞かせるように確認するように。
泰明さんは時々こんな顔で、丁寧な話し方をする。

「お前の姿を見た時、心が穏やかになった」
「そ、そう、なんですか?」

泰明さんのいきなりのその言葉達を、私は遅れ気味に受け止めて、
少しうろたえ気味になんとか返事をする。
あぁ、そうだ、と、淡々と、でもゆっくりと、泰明さんが答えた。

「きっと私も、神子に会いたかったのだろう」

泰明さんの口元がすっと緩む、私を一気に幸せにするのには、
それだけで十分過ぎるほどだった。
嬉しさが体に収まりきれずににじみ出るみたいに、
顔が熱くなるのがわかる、うまく言葉が返せない。

「お、お仕事っ! 邪魔しちゃいましたよね!?」
大切な宝物をしまうように、私はこの話をおしまいにする事にした。
急に話題を変えた事に何の異議もなさそうに、
泰明さんは私を静かにみつめていた。

「お前が気にかける事ではない。 私の判断だ」

泰明さんが木々の木陰からニ散歩前に歩み出ると、
太陽に浮かび上がったぱきっとした服装が目に冴えた。
顔を見るのがなんだか恥かしくて、首飾りが日の光を吸って、
キラキラ揺れるのを見つめる。

「ありがとう、泰明さん」

泰明さんは、このお礼の意味が解らないだろうか。
解らなくてもよかった。ありがとう。
私を想ってくれて本当に、ほんとうに。

そうっと、泰明さんの顔を覗き見てみる。
すこし不思議そうな顔をしていたけれど。

「ああ」
短く返事をして、ほんのりと、色づくように私に微笑みかけた。
思いがけないものを見た気持ちで、その顔に見とれてしまう。

「私からも、礼を言う」
「礼? どうして?」

思わず反射的に出た自分の問いかけ、だけど、
すぐに答えは予想がついた。けれど、
とっても自分に都合が良い幸せな予想だったから、
思わず恥かしくなる。

私の質問にちょっと困った顔をして、泰明さんは、
何か考えているようだった。

「どうしてだろう・・よく解らぬ」
「ごめん、泰明さん、いいよ、有難う」

泰明さんがくれた言葉をそうっとしておきたくて、
慌ててそう言って、質問した事を反省した。

「解らぬが、お前に感謝したい」

静かな泰明さんの声は、私の心の奥にすっと届いてくる。
ただ純粋に。

「うん」

泰明さんよりも、余計な事を知りすぎている私の言葉を、
使いこなす事が今はできなかった。だから私は笑った。

この幸せな気持ちが、あなたに届くよう、心をこめて。
なまいきな願いだけれど。

微笑んだ私を見て、あなたが少しでも幸せになりますように。

私の笑顔の波動が伝わったように、泰明さんの顔は穏やかになった。




甘いのを書こうとしましたが失敗。
 
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