言葉、一つ  2008.0604



一日の中で一番好きな時間は、多分、朝だ。

瑞々しい空気、顔を出したばかりの朝日の白っぽい光、
優しい空間が私の身を包み込んでいる。

吸い込んだ空気に体中が浄化されるような感覚をかんじながら、
恐らく一番乗りであろう、館に入る。

屋敷に仕える人々が、掃除や炊事の使いに歩く姿は確認できたけれど、
やはり、なじみの仲間はまだ一人も来てはいなかった。

人々の挨拶に笑顔で答えながら、私は少し庭に寄り道をしようと考えた、
藤姫も、神子も、もう起きてはいるかもしれないが、いささか、
時間が早すぎるように思えて、挨拶にいくには気後れしてしまう。

ここに広がる庭もまた、私がこの屋敷で一番好きな場所だった。
主となる広い道を少しそれて、庭を覗こうと思ったら、

「永泉」

聞きなれた、凛とした声で名前を呼ばれ、自分でも意外な程驚いてしまう。

「あぁ、泰明殿・・驚きました」

萎縮してしまったように思える胸の辺りを掴んでため息をつく。
改めて挨拶を交わそうとしたら、順を追い抜かすように、彼が言葉を続けた。

「お前に教えて欲しい事がある」

いつも通り、しゃんとした様子で立つ、彼からの意外な申し出だった。


「あの、私に・・ですか?」
「そうだ、他に誰が居る」
「そ、そうですよね、ここには私しか、すみません・・」

何故謝る、と、言いたげに、かすかに泰明殿の表情が動いた。

「ですが、私が、あなたに教えられる事など、何も無いかと思うのですが・・」
「知らぬなら、そう言えばいい」

確かにそうだった。他にも言いたい事が喉まで出掛かったが、
私は同じ過ちを二度繰り返さぬよう、それを寸前で飲み込む。


「口説き文句とは何だ?」


いつも通り眉一つ動かさない。
泰明の口からは到底聞き得ないと思っていた、そんな言葉が飛び出す。


「知っているのか?」
「あ・・! はい!」
「・・・・どうした」

泰明殿がいぶかしげに眉をひそめる。
どんな表情を私がしていたのか、彼の様子でなんとなく悟る事ができた。
自分でも理由が解らぬまま、頬が熱い。

泰明殿が余計な事を嫌う事は承知の上でも、
聞かずには、とてもじゃないけれど、いられない。

「どうして、そのような事をお聞きに・・?」
「書を読むよりも、八葉の誰かに聞くのが良いと、お師匠がおっしゃった」
「いえ・・あの、そうではなくて」

その、もう一つ前の事が、口説き文句に興味を持った由来が聞きたいのですが、
と、言いたいものの、これ以上、私の質問に彼は付き合ってくれるだろうか?

「・・お前は何か知っている。何故答えない」
「す、すみません!答えます・・!」

不信な様がいっそう強くなった泰明殿に、慌てて返事をする。
答えると言ったものの、どう言えばいいのか。
自分の記憶をかき出して何とか言葉を考え出した。

「口説き文句とは、想い人を振り向かせる為に、その人にかける言葉です・・」

自分で言ったものの、認識している口説き文句とは少し違う気がする。
このような自信の無い様子を見せては、また泰明殿に顔をしかめられるのではないか、
そう思い、様子を伺うが、彼は予想とは違う表情で、少し首をかしげた。

「おもいびと?」
「あ・・想い人とは、意中の・・いえ、好きな女性の事です」

出来るだけ解りやすそうな言葉を選ぶ。
真剣な顔で、泰明殿は黙り込んでしまった。

「好きな女性を振り向かせるために、かける言葉・・」
「解りましたか?」

泰明殿がわずかに顔をあげた。まだ、迷いの色が目に残っている。

「よく解らない」
「はぁ・・すみません」

あぁ、また謝ってしまった、しかし、私の反省は余計な心配だったようで、
口説き文句の意味を知るのに真っ直ぐ意識を向ける今の泰明殿には、
そんな小さな事は気にもならないようだった。

「振り向かせるなら、名を呼べばいい、それを口説き文句と呼ぶのか?」
「あ、振り向くといいましても、顔をこちらに向けるという意味ではなく・・」
「では、どういう意味だ?」
「あの、好きになってもらうという、意味です」

「好きな女に、好きになってもらうために、かける言葉」
「はい、 そうです、泰明殿」


簡素な言葉に訳された、口説き文句の意味。
その飾り気の無さは、かえって美し聞こえ、嬉しくなる。


しかし、まだ、泰明殿の顔に、晴れ渡った様子はなく・・

「わかりましたか・・?」
「意味は解る、だが」

次の言葉を待つ。諦めたようにいつもの無表情になった泰明殿が、
小さくため息をつく。

「よくわからぬ」

意味が解ったのなら、一体、何が解らないのか、
私にも、よく解らない。

「すみません」
「謝る必要は無い、お前の言葉は役立った」
「そうでしょうか・・、あ、もしかしたら、」


こういう言葉についてでしたら私よりも友雅殿の方が、と、言いかけて、
私は泰明殿がどうしてこの言葉に興味を持ったのか、
理由を一つ思いついた。

「もしかして、友雅殿から、なにかお聞きになったのですか?」

予想外なくらい驚いた泰明殿の表情に、私の方もすこし驚く。

「どうして解った?」
「ええ、何となく」

わずかな間だけ時折みせる、いつもよりも隙の出来た泰明殿は、
思いがけず目にする事ができる美しい自然のようなもの、
何時拝見出来るか解らない、私にとっては珍しいものだった。

つい、嬉しくなって笑った私を、早くも置き去りに、
泰明殿はたちまち元の様子に戻ってしまった。

「友雅殿に聞いてみましょうか」
「その必要はない、これ以上は時間の無駄だ」

淡々としたその返事は、さっきまでの熱心さとの格差も手伝って、
しんと、とても冷たく私の体に返ってきた。

「恐らく私には解らない」

「泰明殿・・?」

私の呼びかけに答えずに、その場を立ち去ろうとした彼を、
何故だろう、何故だか、そのままにしてはいけないような衝動を感じて、

「お待ち下さい!」

振り返る泰明殿の視線の強さににおそろしさを感じたが、
思い切って勢いに自分の身を委ねてみる。

「き、聞いてみましょう!」

泰明殿の返事を待たずに、何時の間にかちらほら仲間が集まりだした広い通りに駆け出す。
彼から逃げるように。・・ほんとうに逃げたかったのかもしれない。

「友雅殿・・!」
空気を含んだ、よく目立つ華やかな髪を発見し、私は心から安堵した。
その気持ちが顔に出ていたのか、振り向いた友雅殿は何事だろうという顔。

「おはよう御座います、永泉様」
「お、おはよう御座います・・」
「まるで久方ぶりの逢瀬のようなご歓迎ですね。 光栄です」

私が心と呼吸を落ち着けている間も、
友雅殿は男の私にまで、そんな遊び文句を口にしている。

「友雅殿、泰明殿に、口説き文句の意味をご説明下さい」

目を一瞬丸くして、友雅殿は、楽しそうに笑い声を上げた。

「そうか、そうだね、では、答え合わせといきましょうか」

まだ、少し笑い声の残った声でいいながら、泰明殿を探す友雅殿を、
庭に案内すると、さっきのまま、泰明殿はその場に立ち尽くしていた。
意外だ、と思った。 普通なら居て当然なのだけれど。

「どうだい? 泰明殿。 勉強の成果を聞かせてくれないか」
「・・口説き文句とは、好きな女に好きになってもらうためにかける言葉だ」

あらためて泰明殿の口から聞く、その言葉は、彼に馴染んでいなかった。
使ってはいるものの、使いこなせていないように感じられ、違和感がある。

「・・泰明殿から、そんな言葉が聞けるとは、思わなかったよ」
「友雅殿、 あの、真面目にお答え下さい」

笑いをこらえながら声を震わせる友雅殿を小さめの声でたしなめる。

「なにがおかしい」
「いいや、何も可笑しくないよ、実に綺麗で純粋な答えだ、私は気に入ったよ」

友雅殿は、一つ咳払いをして、声色から笑いを振り落とした。

「だが、その答えだけでは、口説き文句の面白さは解らないだろうね」
「面白さ・・ですか?」

私の短い質問に、友雅殿がまるでとっておきの事をそっと差し出すような笑みをうかべる、

「口説き文句の目的は、好きになってもらう事、確かにそれは間違いじゃない、
でも、本当の楽しさは、その手段を考える所にあるのだと思うよ、
その人を想い、その人の心をふるわせる言葉や仕掛け事を考える。
案外、想いを遂げた後よりも、その時間の方が楽しい場合もある、・・聞いてるかい?」

無反応な泰明殿に、さすがに、友雅殿も声をかける。

友雅殿の言っている事は、私にもいまいちよく解らなかった。
泰明殿はというと、その言葉を考えようとしているのかしていないのか、
それすら解らないくらいに表情に変わりは無い。
・・しつこく引き止めた私に怒っているのだろうか。

「お前の言っている事は、よく解らぬ」
「そうか、まぁ、こういう事は説明を受けて解るものじゃない」

楽しげに笑ってから、友雅殿は、相変わらずの様子の泰明殿を覗き込んだ。

「簡単なようで、意外と技がいるんだ、口説くのも、そして、口説かれる方もね、
そうだ、実際に使ってみるといい、経験を重ねると、理解も深まっていくものだ」
「使い方も解らぬ、私には必要ない」
「何だい、使いもしないで、必要ないと決め付けるのかい? 
使い方なら私が教えてあげるよ」

あの泰明殿を、実に楽しそうに説得をする友雅殿は、
虫取りに夢中な子供のようだった。

見ているこちらとしては生きた心地がしない。
今、この状況を、泰明殿が有り難く思っている筈もなく、
その状態を作り出したのは、まぎれもなく、私だ。

「あ、あの、友雅殿、ご冗談はそろそろお止めになって下さい」
「ご冗談とは、心外で御座います、永泉様。 私は真面目です」
「わかった。女に使えばいいのだな」

私達よりもトーンの低い泰明殿の言葉、あまりの意外さに、
一瞬理解が遅れ、私はすこし遅く泰明殿に声を返した。

「泰明殿!? 本気で仰っているのですか?」

ひょうひょうとした友雅殿も、さすがにこれには驚いたようで、
言葉もなく泰明殿を凝視していた。

「なぜ驚いている」
「何故、と、いわれましても・・」
「使ってみてから必要かどうかを決める。どうやって使うのだ?」

声をかけられ、ようやく友雅殿は表情を緩め、楽しさをもてあます様に笑った。

「そうだね、まず、初心者は、褒める事から始めればいい、
事実よりも大きく、でも、疑われない程度にね」
「そんな、友雅殿、それではまるで、偽り事を女性に言えと仰っているように聞こえます」

何故だか少し悲しくなって、つい口をはさんでしまう。

「・・・永泉様」
何故だか優しげな笑顔で、友雅殿が言葉を続けた。

「偽り事とも、事実ともいえない。たとえ本当に思った事を言ったとしても、
口説き文句とはそういうものです」

曖昧なその答えは、彼に思った程の悪意はなさそうな事が感じ取れたけれど、
やはり、いまいち意味は解らない。

「・・・褒める。いつも、お前が女に言っているような事を言えば良いのか?」
「あぁ、まぁ、そんなものだね」

さっきまでの天真爛漫にも似たものから、友雅殿の笑顔は、
少し決まりが悪そうな笑顔に変わっていた。
私の先程の言葉を気にしているのかもしれない。

「友雅殿、私一人では十分にお答えできなかったので・・助かりました」

慌ててお礼を言う、と。


「おはようございます!」

神子の声が、ふわりと、少し落ち込んでいた空気を明るくそめた。

話し込んで居る間に、時間はさっさと私達を置き去りに、
一日をスタートさせていたようだった。
さっき、一人で屋敷に入った時のしんとした空気が、
とても昔のように感じられた。

「3人とも、こんな所に居たんですか?」
「神子・・おはようございます、ご挨拶が遅れて申し訳ありません」
「おはよう、神子殿」

私達の挨拶に、神子はにっこり笑って、あぁ、泰明さんもおはようございますと、
無言で立つ彼に声をかける、返答のない彼を気にするでもなく話を続けた。

「泰明さん、今日は一緒に北山に来てもらいたいんです」
「わかった」
「あ、永泉さんもご一緒にどうですか?」
「神子殿も罪な人だね、私の目の前で他の男を誘うのかい?」
「だって・・玄武には、玄武の人の方が、私も落ち着くんです」

神子が加わって、その場の雰囲気はいっそう賑やかになった。
自然と皆が笑顔になる、その中で一人真顔のままだった泰明殿が、
不意に口を開いた。

「神子、君は相変わらず可愛らしいね。その笑顔を前にすると、
私の心の憂いなどたちまち立ち消えてしまうよ」

その言葉と、よく知るその声は、天地が返ったような衝撃的な組み合わせだった。
ただ無表情で、泰明が見る目線の先で、ふわりとした神子の笑顔は、
凝り固まったようにそのまま止まってしまった。

「・・え?」

笑顔の形のままの唇で、神子が小さく言う、短い声に戸惑いをたっぷり含ませて。

「神子、君は相変わらず・・」
「聞こえなかった訳じゃないです! もう言わなくていいですっ!」

神子が一気ににぎやかに動き出した。顔と同時に両手をぶんぶん横にふって、
髪の隙間から覗いている耳は、こちらから見ても赤く染まっているのが解る。

「泰明さん、何かあったんですか」
「何も無い。なぜだ」
「何故って、いきなりおかしなこと言うんだもん」

心を落ち着けるように両手を胸のまえで握り締めながら、
いささか疑惑の目で神子は泰明殿を観察していた。

「おかしな事ではない、口説き文句だ」
「神子! すみません、泰明殿は、今ちょっと混乱していまして」
「あぁ、ちょっと休んだ方がいいよ」

なんとか泰明殿と神子をを遠ざけなければ、
友雅殿にも同じ思いがあったようで、泰明殿の腕を引こうとしている所だった。

「・・私は正気だ」

引かれた腕を怪訝そうに振り解きながら、泰明殿が私に眉をひそめる。
これ以上何もいえなくなってしまった私をよそに、
泰明殿が淡々と言葉を続けた。

「事実よりも大きく、疑われない程度に女を褒めれば良いと、友雅に聞いた」

少し間をおいて、次に眉をひそめたのは、神子のほうだった。


それは短くて、でも存在感のある沈黙だった。
遠くでイノリが楽しげに笑う声が、蜃気楼のように聞こえる。


「か、からかわないで下さい!」
「違うのか、気に障ったのならあや・・」
「もう! もういいです!」

言い終わるが早いか、踵をかえすのがはやいか。
見る見るうちに、神子の背中は小さくなった。

神子の姿が見えなくなると、緊迫した空気がほどけた代わりに、重苦しい思いがたちこめる。

「怒ってしまわれました・・」
「・・永線様、お泣きになりそうなお顔はよして下さい」

私達を気にもとめず、泰明殿は、真顔で手を組み何か考え込んでいた。
ふと、区切りがついたようこちらに顔を上げる。

「お前達のする事は、よく解らぬ事だらけだ」
「・・・それは、こちらが言いたいね」


力なくそう返した友雅殿と、無言のまま立ちすくむ私を置いて、
泰明殿は神子の消えた方向に静かに歩いていった。

「友雅殿、これからは、泰明殿をおからかいになるのは・・」
「極力、控えさせて頂きます」

珍しく、素直で、覇気がない友雅殿の様子を見つつ、
私は、改めて、言葉一つの意味の奥深さと、恐ろしい威力に気づかされていた。




練習に書いてみた、遥か初小説。
書いてるうち、口説き文句の意味が自分でも解らなくなりました。
なんかもう終わらせ方も何もかも解らなくなりました。

ゲーム中の、泰明と友雅の口説き文句の会話、好き。
 
帰る