もしも、君が 2008.0724




吹きぬけた風が、髪を揺らして去ってゆく。
その軽やかさは、私の心の重さを益々実感させるみたいで、

今に限っては、心地良いとは思えない。

中庭に設けられた噴水を眺めるふりをしながら、私は、
大きく息を吸い込んで、まるで深呼吸みたいなため息をついた。
一瞬軽くなった気がした気持ちは、すぐにまた、
思い浮かんだあの人の面影によって引きずり下ろされる。


怒っているというよりあの人は驚いた顔をしていた。


喧嘩をうったようなものだ。さっきの私は。
忍人さんから見れば不可解な人間以外の何者でもなかったのだろう。

中つ国の王、だとか、中つ国にとって、とか、
彼はいつも、中つ国というフィルター越しで私を見る。

・・・・ような、気がする。


ならばもっと事務的に、無機質に私を扱えばいい、
私を単なる陛下だとして見るならば、期待させるような事は、

しなきゃいいんだ、と、心から思えないのが、
私の弱いところなのだろうか。


「なによ・・人の気も知らないで」

水面を叩く噴水の音で、私の声はそう響かなかった。
噴水を思いっきり睨みつける、そこに、私の頭をかき乱す、
あの人が居るようなつもりで。


「バカ!!」

思い切り叫んでみる。声が水音と一緒にあたりに響いて、幾分気分が晴れた。


「馬鹿というのは俺のことか」


その声を聞いて、心臓が凍りつくかと思った。
振り返って確認した案の定の人物は、仏頂面で呆れたように私を見ていた。
逃げ出したくなったけれど、隙の無いその目線には、
人を動けなくするなにかがあった。

俯くことしかできない。言わなければいけない事はあるのだけど、
怖さが、かえってそれをさせぬよう邪魔をしている。


前方から一つ、ため息が聞こえた。


「怒ってますよね」


聞いて、恐る恐る顔を上げた。
忍人さんは、思った程険しい顔はしていなかった。

意外とおだやかな彼の顔に、皮肉めいた笑みがふと滲む。

「怒らせるような事をしたと思ってるのか?」
「そ、そりゃ」

いきなり機嫌を損ねて怒って、忍人さんから走り去って、
バカと叫んでいる所を聞かれた、十分過ぎる位怒らせる事だ。

「したと思ってます」
「そう、か」

意外にあっけない返事。ふと遠くを見るように、
忍人さんは私から目をそらして少し何かを考えていた。

「あの・・忍人さん」

私の呼びかけに視線を戻し、無言で言葉の続きを促す忍人さんに、
きちんと顔を向ける。

「ごめんなさい」

さっき言えなかった言葉をそっと言う。
彼はちょっと驚いてから、少し困ったような目で、
持て余すように腕をくんだ。


「俺は、君が意味も無く怒る人間だとは思っていない」

今しがた困ったような色をしていた目は、曇りがきえて、
真っ直ぐだった。


「何か理由があるんだろう」
「え? り、理由、ですか」


理由・・。

さっき忍人さんが、王を通しての私ばかりを評価したから。

忍人さんの優しさは、中つ国の王に向けられているのか、
私に向けられているのか解らないから。

なんて言える筈かない。

顔が熱い。多分、赤面している。顔を上げられない。


「千尋?」

驚いた顔で忍人さんは私を覗き込んだ。

「何かおかしな事でも聞いたか?」
「い、いえ! 全然! ええっと」


彼の驚き顔が、少し不安そうなものに変わる。
自分に向けられた忍人さんの気遣いが、
不謹慎だけど嬉しい。 あぁ、でも、これだって。


ただ、中つ国の陛下を心配しているに過ぎないかもしれない。


今までの思いもまとめて一緒に押し寄せてきたみたいに、
不意に、無性に悲しくなった。


「忍人さんは・・・」
うかがうように私を見る忍人さんを、見つめる。


「私が王じゃなくても、そんなに心配してくれますか」

目をまるくした忍人さんを、後悔と爽快感が入り混じった思いで見つめる。


「そんな事を不安がっていたのか?」

こくんと頷いた私を見届けて、忍人さんは再びため息をついた。

「ほんとうに君はずっと、そんな・・」

言葉を途切れさせて、ふっと忍人さんが笑った。


「何が、なにがおかしいんですか」
「いや」
「質問に答えて下さい!」

もう、何だって聞ける気がした。無敵になったような勢いが、
今の私には溢れている。忍人さんはそんな私を静かに眺めていたけど、

「もし、君が中つ国の王である地位を失ったとしよう」

何かの説明を聞かせるような落ち着いた忍人さんの声。

「そうしたら、その無謀な性格が治るのか?」
「無謀?」

突如、自分に矛先が向いて、思わず聞き返す。

「浮かんだ事を、即行動に移すその性格だ」
「そ、そうやって、良かった事だってあるでしょう!?」
「誰も悪いとは言ってないだろう」

忍人さんの顔はお説教をしているようには見えない、穏やかなもの、
ダメ出しをされたような気持ちが少し和らいだ。

「昔からこういう性格だもの、今更治りっこないです」
「そうだろうな」
「・・からかってるんですか」

再び声をころすように忍人さんが笑った。異議を含ませた目で、
彼をじいっと見つめた。

「なら、心配するしかないだろう」


とっさに何の事だったか解らなかったけれど、
自分が今しがた、詰め寄る勢いで彼にした質問を、		
一瞬で思い出した。


「ほんとう?」
「ああ」

一人で騒ぎ立てた気まずさと、あっけない忍人さんのその返事、
なんだか恥かしくて顔を上げられないけど、彼の声は穏やかで。

「王じゃなくても?」
「・・ああ」

どうしてだろう。 何でもない事なのに、少なくとも忍人さんにとっては、
取るに足らない事なんだろう。だから、

こんな事で涙が出てくるのはおかしい。


「ただの、女の子でも?」

「・・・・」


不意に降りた沈黙、空気がざわりと動いた。

足元を見つめていた私の視界が、目に馴染んだ紺色で遮られる。

突然私を包み込んだ忍人さんの腕の中で私は、
動けないまま、体を彼の胸に預けて立ちすくんでいた。

「いつまで、こんな門答を繰り返す気だ?」

すぐ傍で聞く忍人さんの声は小さくて、いつもより通りが悪いのに、
体に響いてやけにくっきり聞こえた。


「・・俺が守りたいのは、君だ」


その声は緩やかで、心が溶けるくらいに暖かい。


涙の勢いは止まるどころか酷くなって、
忍人さんの服をきっと濡らしている、でも、私は構わず、
顔を温もりにおしつけて、そっと忍人さんの服を握り締めた。


どうか、もう少し、このままで居られますように。




忍人さんの冷甘バランスが解らない。