猫になりたい  2008.



神子は小さな動物を抱き上げて、とろけるような声で通じもしない言葉をかけて、笑った。


「かわいい」

心をすっかり緩ませた様子で、呟く。神子の頬を、猫が気まぐれにひと舐めすると、
心底楽しそうな声をあげて、少女の顔は花のようにほころんだ。

「見て、泰明さん」
「言われるまでもなく見えている」

もう、つれない反応、そう、すねたように言いながらも神子は楽しげだ。
感触を楽しむように、猫に、ふわりと頬を寄せて、
まるで口付けでもねだるように、緩やかに目をふせる。

その姿はどこまでも無垢で、でも、思わず目を奪われる程艶っぽい。
しかしそれに惹かれればひかれるほど、胸に何とも言えない、不快さがこみあげる。

悲しい・・ではない。寂しい・・とも、少し違う。
怒りが、一番近いかもしれないが、怒る理由に心当たりは無い。

「ほら、泰明さんも、抱っこしたら、きっと可愛いって思うよ」

私が見つめる中、神子が猫を抱いてこちらに歩むと、そう言って、
両手を出すよう私に命じる。

言われるがまま、とにかく、手を出す。

「ちゃんと抱っこして下さいね」

少し不安そうな神子に、頷いて、胸の中に滑り込んだ猫を、受け止めた。
ふわりと暖かな温度が、手の中にしなやかに収まった、けれど、
すぐにそれは居心地が悪そうにうごめく。

猫がいぶかしげに、私を見上げた。

「可愛いでしょう」

可愛いも、何も。

「・・猫だ」
「はい。 猫、ですよ」

ふっと、神子が吹き出して、くすくすと鈴のように笑った。

しばらくその顔を眺めてから、手で捕まえている猫を見る。
どう見たところで、猫だ。

「解らぬ」
「そんなに、難しい顔する事じゃないんだけど」
「神子の様子は可愛いと思う。だが」

私に見下ろされながら、身をよじる猫を、神子の意思に従い両手で押さえつけた、

「猫を、可愛いという事が解らぬ」

比べるようにもう一度神子の顔を見たら、不自然に目を逸らされて、
すこし驚いた。よくみれば、頬も赤い。

「どうした? 具合でも悪いのか?」

私のすきをついて、猫が蹴るように手から抜け出す。
揺らぎ無く地面に着地すると、振り返りもせずに猫は自分の望む方に去って行った。
薄情にも見える猫の態度に、胸に清清しい風でも吹き込んだように、
なぜか気持ちが晴れやかになる。

「泰明さんが、怖い顔するから逃げちゃった」

猫の去った後を追う神子の姿に、再び胸に、先程と似た不快感が顔を出した。


「追う必要はない」

私に腕を掴まれた為に、神子は不安定によろめいて、驚いた顔で振り向いた。

「も、もう、何・・・あれ?」

大きくした神子の目をじっと見つめ返す。未だに根本的理由は解らない。
けれど、猫ばかりを気にかける神子が不快だ。

なにやら解らぬが、それだけは解った。


「泰明さん・・・・怒ってます?」

神子の言葉に、思わず表情をゆがめる。


「おこる?」

首をかしげた神子を凝視したまま、しばらく考えを巡らせた、けれど。

「何故、怒る必要があるのだ」
「です、よね」


弱々しく笑った神子が、私につかまれたままの腕を、ちらりと見る。
開放を望むようなその目線に、なぜか従う気になれなかった。

「何故・・・」

自分に問うように、呟いてみる。
同じ目線を今度は私に向けて、神子は困った顔をした。

「なぜって、なにが?」

負の感情が滲みがちな顔ばかりを向けられて、不意に、
先程神子が猫に向けた、今とは対照的な明るい表情が頭に蘇る。

欲しい。

今すぐに、その表情が、甘くて柔らかい雰囲気がほしいと思う。
猫などにではなくて、自分に向けてほしいと。


「そうか・・・私は」
「泰明さん?」


私の呟きに、神子は益々困惑した顔をした。


「神子」
「はい?」

不思議そうに見上げた神子の目が心配そうに私を伺う。

「私には、お前が言う猫の可愛さは解らぬが」
「・・・・あ、あの、そんなに、気にしなくても」

神子が言いかけた言葉は無意味だ。私は初めから気になどしていない。

「恐らく私は、神子にとって可愛いものでは無い事は解っている」
「へ!?」
「だが・・・神子」


細い腕から手を離すと。神子の両頬を緩い力でおさえて、正面から顔を見つめた。
少し暖かい感触。

「や、泰明さん?」
大きな目を、さらに見開いて、神子が落ち着きの無い声色で私の名を呼んだ。


「笑ってほしいと思う」


目を、大きくしたまんま、神子は何も言わずに私を見上げていた。
胸に鉛を入れたような不快感が起こる、全てなかったことにして逃げ出したいような、
不安定な感情に私は思わず顔をしかめた。

突然聞こえた、重い空気を取り去る神子の笑い声に、驚いてその笑顔を見つめた。

「神子」

私の呼びかけには答えずに笑いを抑えるように下を向きながら、
神子がそっと、私の手に手を重ねた。

「何がおかしい」
「ご、ごめんなさい、だって・・」

ひとつ、かしこまるように咳払いをすると、神子は顔をあげる。
あたたかい表情に、重たくのしかかった不快さが、さらさらと溶けた。

あっけないくらいの、心の変化に、私はひどく戸惑って、
先程とは違う理由で顔をしかめた。

そんな私を覗き込んで神子が、顔中、一杯に笑った。


「可愛いですよ」


何の事を神子が言っているのか解らず、少し考える。
ふと思いついて、背後に猫が戻ったのかと、振り返った。

「泰明さんがです!」

可笑しそうな笑い声と一緒に、聞こえた神子の声。
その顔をいぶかしげに覗く、神子は私の手を、さらに強く握ると、
笑顔でまっすぐこちらを見つめ返した。


「お前の言う可愛いは、理解し難い」
「解らなくても、可愛いんです」
「ああ、理解できなくとも問題ない」


私の手を握る暖かさは、柔らかく笑う心地よい気配は、
私が、さっきまで感じたいと思っていた空気そのもの。

その愛らしさに自然と頬がゆるむ、手に入れた空気を、
体中で吸い込むように抱きしめたら、
神子が甘く笑う気配が腕の中で溶けた。



拍手のお礼文でした。泰明さんの「問題ない」一回使ってみたかった。
題名は、スピッツの曲からパクリました、題名付けるの苦手。
スピッツの「猫になりたい」は、すごい可愛い歌です!胸キュン!


 
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