もう一度20081215


昨日となにも変わったところは、ないというのに、
朝を迎えたこの部屋は、空気が違って思えた。

それとも、変わったのは、自分の方なのだろうか。

ひやりと冷たい、素肌に布が当たる感触が新鮮で、緊張感が走って、
体に巻きつけるように布団にくるまる。
そのまんま、もう服を着こんでいる彼の背中を見つめた。
着替える忍人さんの姿がもの珍しくて、少し気恥ずかしいような、
ちょっと味気ないような、そんな思いで、

黙ってその様子を眺めた。

「起きていたのか」

ごそごそと物音をたてたせいか、こっちを見た忍人さんと目が合う。
瞬間、思わず視線をすこしそらした。

「おはようございます」
「ああ、おはよう」

ぎこちない私の挨拶に答えて、忍人さんは窓から外を眺めた。

「もう日が昇るな、君も早く着替えたほうがいい」

小さく息をついた忍人さんに、味気ない気分は、ゆっくりと、
怒りじみたものに変化していく。


「なんにも、変わらないんですね」

不機嫌に低い自分の声。忍人さんに、その色を読まれたっていいと思った。

「何の話だ?」

きょとんとした、悪気の無い目に、私はばかみたいに一人、イラついた。

「忍人さんにとっては、何でもない事だったかもしれないけど」

私は。

私にとっては。続く言葉は思いつかない。
思いついたって、言える筈が無い。

「なんでもないです」

布団を握る手に力をこめて、胸のもやもやを押し殺す。

「ごめんなさい、ほんとに何でも」

気遣うように妙に柔らかくなった忍人さんの表情に、
私は不穏な空気を取り払った、明るい声で、
余裕があるかのように笑ってみせる。

「順序が、違ってしまったか」

いまいち意味の解らない忍人さんの言葉は、うまく頭に染み込まない。
うかがうように見上げた忍人さんは、困ったように、穏やかそうに、
いつもより少し柔らかい表情。

含まれる感情を捜せど、掴めず、つい首をかしげたら、
忍人さんは曖昧な目のままで、未だ寝転んだままの私の方に歩み寄った。
見下ろされて、我に返って、慌てて身を起こす。

「千尋」
「は、はい」

身から滑り落ちそうになった布団を慌てて手繰り寄せるのに気をとられて、
上の空で名の呼びかけに答えた私は、

「愛してる」

次に聞こえた言葉に、声が出なかった。
目を丸くして忍人さんを見つめる。

さっきと変わらない顔で私を見つめ返していた忍人さんは、
すこし、気まずそうに、顔をしかめた。

「何だ」
「な、何だって・・・・」

心がやっと動き出したようで、私の頬は一気に熱くなる。
ふと、眉間に皺をよせる忍人さんが、珍しくうつむいた。

「気づいていなかったのか?」

忍人さんの頬が、少し赤く見えた。
上り始めた朝日に、少し赤みがさしているせいかもしれない。

「き、づいてました、けど」

そう、口に出してからどっと恥かしさが押し寄せた。
続きの言葉を飲み込み、心を落ち着けるように深呼吸をする。
どくどくと、喉にまで心臓の音が響き渡る。

「なら、そんなに驚くことはないだろう」

腕を、無造作に組んだ忍人さんの頬は、やっぱり少し赤い。
冷静さを少し取り戻した心に、さっきの忍人さんの言葉が、
じわじわと、あらためて、しみこんでいく。

「でも、勘違いかもって」

小さなことから大きな事まで、忍人さんの言動を、
一つ一つ集めて確かめて、築き上げた確信も、
昨晩見せたあの目に含まれていた、暖かいものも、

「全部、私の勘違いかも、しれないから」

少しのきっかけでいつも、すぐに消えてしまいそうになる。

「だから」

忍人さんが何かを言おうとした、けれど、
私が不意に差し出した手に、わからない顔で視線を落とす。

「もっと、こっちへ来て下さい」

困ったように一瞬、忍人さんの目が揺れた。
穏やかな動きで私の手を取ると、こっちに引っ張るまでもなく、
ゆっくり、忍人さんはベットに腰掛け、目を細める。

「もう一度、近くで言って」

すぐに消えてしまいそうになるから。もっと近くでもう一度。
握った手をさらに握り締めて、それだけ言う。
自分の顔に、耳に、熱が集まるのがわかる。

どんな顔を彼がしているか、うつむいているから解らない。

ふと、肩にじかに触れた暖かい温度に顔を上げた、
そのまま布団ごと抱きしめられて、忍人さんの顔はやっぱり見えなかった。


「愛してる」

言葉の調子はいつもとまるで変わらない。思わず聞き流しそうになって、
強く閉じ込められた腕の中、強引にあわてて忍人さんを見上げた。

目を合わせると、すこし眉間にしわをよせて、忍人さんが困った顔をする。

「まだ、言ったほうがいいか」
「は、はい!」

遠慮のない私の希望は、止まらずつい、口に出る。
しかめた顔をしばらくした後、諦めたようにゆるく、忍人さんが微笑む。


三度目の言葉を口にする忍人さんの目が、暖かくなった。



 
帰る