ありがとう2009



ありがとう、と、その言葉を一体何度言いそびれただろう。

言いたくとも、ヒノエは相手に気づかれぬように計らうのが驚くほどに上手かった。
気付いた時には、礼の言葉を口にする頃合いはとうに過ぎて、
そもそもあれが、本当に私を気遣ったものだったのか、
自分の判断の正しさにも自信が持てなくなる。

けれど、こうも同じ様な事が何度も起きれば、
それが偶然である筈がない。




いつも掴み所がなく、突然居なくなったかと思えば、
何食わぬ顔でいつの間にか皆の中に紛れてひょうひょうと笑っている、
ヒノエは共に居ることが少ない訳ではない割には、一緒に居る実感がない。

だから、こんな風に落ち着いて、部屋でくつろぐヒノエを見るのは新鮮だ。

隣に歩み寄って私も腰を下ろした。
壁にもたれて何かを読んでいたヒノエが、顔をあげて不思議なものをみるような目つきをした。

「お前から懐いてくるなんて、珍しいね」
「別に懐いてはいない」
「ふーん、じゃあ考えありって訳だ」

好奇心に満ちた目で、ヒノエが私を覗き込む。
その期待するような目に、私は言おうとした言葉を、つい少しつまらせた。

「あの、考えがあるという程でも無いが…」
「うん、わかったから」

ヒノエの笑みに、かすかに優しさがにじんだ。

「何でもいいから言ってみろよ」

姿勢を戻してすこし離れたヒノエの顔が、いつも通りに涼しくなる。
ふう、と一つ息を吐いて、その顔をまっすぐに見た。


「君に、礼を言おうと思う」

私の言葉に、ヒノエは一瞬驚いてから、考えを巡らせるように目線を下ろした。


「ありがとう」
「あのさ、敦盛、悪ぃんだけど」

決まりが悪そうに顔をしかめて、ヒノエが私の礼にかぶせるように声をかけた。

「何の礼だ?」
「何というわけではない」
「は? 何だよそれ」
「その…色々だ」

ますます、解らない顔で私を見る目。ヒノエを困らせたいわけではないけれど、
どう説明すればいいか解らず、その顔をなすすべも無く見る。

「ヒノエ、あまり深く考えるな」
「いや、考えるって」
「と、とにかく」

到底納得がいかなさそうなヒノエをじっとみつめて、


「私が君に、礼を言いたかった事だけは解ってくれ」

少々、無理やりだったかもしれない。けれど、そこまで言うと、
ヒノエが、吹き出すように笑った。


「随分と強引だな」
「君だって、いつも強引だろう」
「まあ、いいや。よくわかんねぇけど」

ヒノエが少し荒れた指で自分の口元を撫ぜる。まだ何か考えているのか。
でも、その口元には、先程のような怪訝な様子は無い。

「もらえる礼は貰っとくよ」


にやりと楽しげに笑った顔に、つられて少し笑って、
次に君の世話になった時には、礼の頃合を逃さずに居ようと、
私は心の中で、挑むように誓った。




BLサイトの拍手お礼。後から読むと完全友情だったので移動。
BLと友情の境界線がわかりません。



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