ばれんたいん20090214



「お! 今日って2月14日だぜ、なぁ」

朝餉の片付けを手伝った後、譲と二人部屋に戻ると、
将臣殿が、暦を確認しながら、誰かに呼びかけるように声をあげた。

隣の譲がすこし目線をあげて、一瞬驚いたように見えたけれど、
再び横顔は、落ち着きを取り戻した。

「まったく、兄さんは呑気だな」
「カリカリしたって仕方ねーだろ、お前、無駄にテンション下げ過ぎ」
「兄さんが調子良過ぎるんじゃないのか」
「・・・ふ、二人とも、その」

険しくなりつつある二人の空気に、恐々割り込んだ私に、
二人が振り向いて、穏やかな目を向けた。

「やめろよ兄さん、敦盛が驚いてるだろ」
「やめろって、俺のせいかよ」
「あの、2月14日は、何か二人の特別な日なのだろうか」

油断すれば険しい方向に転がる空気を強引に曲げるため、
話を違う流れにのせた。

「ああ、俺達のっつーか、俺達の世界ではバレンタインって言って」
「ばんれ・・」
「バレンタイン、だよ」

あまりに新鮮な言葉の並びに、うまく記憶できずに首をかしげた。

「不思議な言葉だな」

ゆっくりと、解りやすく私にもういちどその言葉を言ってくれた譲に、
そう言うと、そうなのかな、と、譲も不思議そうな顔をした。

「女が、男にチョコ配る日だ」
「・・配るって、まぁ、間違ってはないけど」
「そうか・・ちょこ、というものを女性が振舞うのか」
「ほら、敦盛が変な解釈しただろ」
「また俺のせいかよ」

「女が好きな男に、好きですっつってチョコを渡すんだ。あ、チョコってのはお菓子な」

将臣殿は丁寧に説明をし始めたものの、最後の方につれて大雑把になってゆく。

「というのが本来の意味で、実際はまぁ、お菓子業者の戦略だな」

将臣殿の明るい笑顔を見ながら、いまいち意味の解らない言葉を、
さらに問いただそうかどうか、迷って、やめる。
大まかな意味は解った。

「女性から想いを告げても良い日、なのですね」
「ま、そうだな。とは言っても、俺達の世界じゃ女は一年中積極的なもんだぜ」
「そう・・ですか」

ふと、神子の事が脳裏に浮かんだ。なるほど、彼女にも、
自分が知っている女性とは違う空気がある。その違いは、
将臣殿が言った言葉とぴったり一致する気がした。

「ははっ、敦盛、納得し過ぎ。望美見りゃ何か解るだろ?」
「え・・!? いや!そ、そんなつもりは・・」
「そうか、この時代だと、女性から告白する事は少ないんだな」

落ち着いた声色の譲、話題が少し変化してほっとした。

「ばんれたいんの事は、大体解った、二人ともすまない」
「お、そーか? あと、一応直しとくけどバレンタインな」
「あ、ばれんたいん、ですね、すみません」

気まずさに俯いた私に、覚えても仕方ないけどな、と、
譲が微笑んで言った。

確かに覚えたところで、何にも役立てることができない知識。
ただ少し興味深い異文化の話、自分とは関わりの無い遠いもの、
そんな風にしか思わず流した為に、私は、

その日、一日、すっかりばれんたいんの事など忘れていた。



「敦盛さーん! 居ますかー?」

空が一番近く見えるこの場所で眺める、何の隔たりも無い青空は、
いつの間にか、太陽も傾き、鮮やかさを失い始めていた。

こちらに向かって私を呼ぶ聞きなれた声に、
屋根から下りようと立ち上がろうとした、けれど、

「居るなら降りてきちゃダメ!返事してくださいー」

ぎょっとして、動きを止める。

「神子、私はここに居る」

戸惑いがちに返事をして、静寂を破る神子の声を待った。
突然感じた、近づいてくる気配に驚いた。

「よ・・っと!」
「神子!?」

屋根の端から顔を出した神子に驚いて、駆け寄った。

「ここは危ない! 神子、私が下に・・」
「今降りる方が危ないですよ、大丈夫!」

屋根をよじ登る神子に手を差し出す、一瞬間を置いて、私の手を掴んだ神子は、
焦る私をよそに、何やら嬉しそうに、笑った。

神子を引っ張り上げながら、今になって、触れ合った手と手を気まずく思った。

「一度、登ってみたかったんです」
「落ちないように気をつけてくれ、あなたに何かあっては・・」
「大丈夫ですよ」

にっこり笑ったその顔は、妙な説得力があって強い。
そんな様子にすっかり押され、諦めて息をつく。

「神子、ここが一番、身が安定すると思う」
「あ、すみません、ありがとう」

今まで自分が座っていた場所に案内すると、すぐに手を離した。
神子の手の感触が離した後もやけに残る。


「わぁ・・いい眺め」

ため息交じりの神子の言葉に、気持ちが和らいだ。
隣に私も腰を下ろし、改めて景色を見つめる。

「ああ、この場所は、屋敷の庭が一望できる」

ホントですね、と、神子はこちらに振返って微笑んだ。
反射的にすこし視線を下にずらしてしまう、何となく、
気まずい思いが胸に沸いた。よくよく考えれば、
こんなに、皆の目が届かぬところで、二人で話したのは初めてだった。

「神子、私に何か用だろうか?」

思い出して、話題を見つけてほっとしながら、神子に問う。

「あ、あのね、用事ってほどじゃ、ないんですけど」

今度は神子が私から、視線を逸らした。

おかしなものだ、見つめられても居心地が悪かったのに、
目を逸らされたらそれはそれで、妙に、気まずい思いが沸く。

沈黙の中、神子が懐を探った。がさがさと紙がぶつかり合う音が、
ただ響いた。

「はい!」

差し出された包みに、一瞬どう反応すればいいか解らなかった。

「私に、くれるのか? これは・・」

言って、神子を見て、私はつい言葉を止めた。

相変わらず目を下に逸らしたまんまの、神子の頬が、赤い。
屋根の上、吹き抜ける風が、さらさらと長い髪を揺らした。

「神子?」

我に返って、差し出されたものを慌てて受け取りながら、
何故だかこちらまで目を逸らさずにはいられない。

「あ、あの! お菓子作ってみたんです!」
「そ、そうなのか、私などが、もらってもいいのだろうか・・・」
「はい!」

顔を上げて神子が笑った、まだ少し顔が赤いけれど、
明るい雰囲気に少し気が楽になる。


「ありがとう」

渡された包みも、目の前で笑う少女も、全てが暖かくて、
私はできるだけ、感謝の気持ちをこめて微笑む。


再び、神子がうつむいた。

様子がおかしいような気がして、今度はすぐに目を逸らし返さずに、
様子をうかがうように、そっと神子を見た。

「どうかしたのか?」
「いえ、何でも・・・お菓子とか、苦手じゃないですか?」
「ああ」

お菓子、と、いえば・・。

ふと、今朝、譲達と話した会話を、思い出した。

『女が好きな男に、好きですっつって』
将臣殿の言っていた、今日、ばれんたいんのならわしが頭に蘇って、

心臓がおかしな調子で鳴った。

「・・・実は、甘いもの、ダメだったりする?」

不安そうな笑みをうかべ、私を覗き込んだ神子をあわてて見て、
首を横に振った。

「いや、甘いものは、好きだ」
「そうなんですか? 良かった」

穏やかな笑顔に答えようと、必死に、心を落ち着けた。

まさか。
神子は、それきり何も言わずに、再び広がる景色に視線を落とす。

私が、この行事を知っているとは、神子は思っても居ない筈。

偶然、か。そうだ、偶然だ。
何の必要も無ければ、暦を確認する事も無い、神子は、

今日が2月14日だということも、知りもしない筈。

「・・・内緒にしておいて下さいね」
「え?」
「あ!えっと、み、みんなの分無いから、そのお菓子の事!」
「あ、あの、では、皆で頂いたほうが」
「ダメ!」

横顔のまま、戸惑い勝ちに話をしていた神子が、
いきなり強い口調で、私に振り向く。

ただ目を大きくして神子を見つめた。
ふたたび、神子の頬が少し赤らんだ気がする。


「敦盛さんが、食べてください」

困ったように揺れた目を、神子は今度は逸らさない。


「わ、わかった」

答えれば、再び神子に穏やかな笑顔が蘇る。
私の心臓には、再び、おかしな調子が蘇る。


同じように穏やかに、微笑み返す余裕がない、
つい、うつむきながらも、できるだけ自然な言葉を、必死に探した。

「・・その、大切に食べさせてもらう」

偶然だ。 なのに。
心臓の高鳴りが止まない。


「ありがとう」

言って、知られてはいけない騒がしさを胸に押さえ込んで、必死に、
自然に、しぜんに笑う、私の笑顔は、歪んではいないだろうか。


冷たい風が吹き抜けて、熱くなった頬をひやしたけれど、
中々、熱は引かずに、顔中にとどまったまま、無くならなかった。



2月14日はもう京には居ないだろとかそういう突っ込みは勘弁!
この二人、望美が積極的じゃないと進展させられず、
最後までどうしようもなかった。題名もどうしようもなかった。

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