同じ夕焼け  2008.0606



鮮やかにはっきりした境界線をまといながら、
揺れるような速さで沈んでいく、光の塊。
後ろに広がる暗い雲は、その球体のすぐ傍だけは光で透かされて、
共に淡く光っている。

きっと、目の前で夕焼けに目を奪われている少女と同じものが、
私にも見えているのだろう。でも。

「キレイ・・」

神子のちいさな呟きは、誰に向けるでもなく、赤っぽく染まった空間に消えた。

「ね、キレイですね」

思い出したようにこちらを見た神子の頬は、夕焼け色の空気が溶け込んで、赤い。

「お前がそう思うなら、それで良い」

解らなかった。夕焼けは、夕焼けにしか見えなかった。
それ以上の意味など、私の目にはうつらなかった。
同じものを、見ていても。

しかし何故だろう、言いたくはなかった。
夕焼けは夕焼けだ、とは。この嬉しそうな少女の前では。



つい先刻の事、用事を済ませて山を下りようとしていたら、

「泰明さん、ちょっと待って下さい」

神子が不意に私を呼び止めた。

「空が赤くなってきましたよ」
「日が暮れてきた、暗くなると下山が難しくなる、急ぐぞ」
「そう、そうなんですけど・・」

何かを言いたげに、視線を揺らして神子が少し笑った。
いつもの抜けるような笑顔ではない。 不可解な表情。

「夕焼け、見て帰りませんか?」

さらに、脈略の無い事を神子が言い出した。

「何故だ?」
「えっと、今、あの丘に登ったら、キレイに見えるだろうなぁって」

きれい。

人は、きれいなものを好む。きれいというものが、
人にどんな影響をもたらすのかは解らない。

けれど、それは食事を取ることと同じように、
人には必要なものなのだろう。

「ダメ、ですか?」

黙っていたせいだろうか、神子が、勝手に私の判断を予測する。

「日の残るうちに帰る、見るなら早くしろ」

先程神子が指し示した丘に、足早に向かう。
見るだけなら、日没までには十分間に合う時間だった。

「いいんですか!?」

私の背を追いかけてきた神子の声は、何故か驚いたように落ち着きがない。

「神子の命令なら、仕方が無い」
「泰明さん、これは命令じゃないです、私は・・」

なだらかな丘を登ると、木々がひらけて、
視界に突如、空が広がっていた。

神子は、茜色の空に言葉を奪われたように、声を途切れさせた。



うつくしさが、どんなものなのか、解らない。
取るに足らない事。今までと何ら変わりのない事の筈。
それを知らぬからといって、何の支障があるのだ?

ふと、自分が夕焼けを凝視していたことに気づく。

夕焼けから、夕焼け以外のものを探そうというのか?
どんなに見た所で解るはずもない。

「泰明さん?」

夕日に背をむけて、神子が顔を曇らせた。この少女はいつもよく解らぬ。
その表情の変化は不可解で、追いかけて理由を考えていてはきりがない。

「なんだ」

だから理由など考える必要は無い、そう思い、そうしてきた。
なのに、なぜだ? なぜ、そんな苦しそうな顔をするのだ?

なぜ、私はそんな事を知りたいと思うのだ?

「なんだか、悲しそうだから、大丈夫ですか?」

どうしてこの少女は、いつもいつも、
不可解なことばかり言うのだ。

「お前と居ると、解らぬ事ばかり起こる」

言うつもりなどなかったのに、口をついて出た私の言葉を、
神子は不安げに黙って聞いていた。

「・・もう良いのか、帰るぞ」
「あ、ハイ!」

そうだ、日が暮れるまでに、山を下りなければ。
どうかしている、そんな大切で簡単な事を忘れかけるなど。

丘を下りる前に、もう一度、夕焼けを見てみる。
ただの光の塊が、勢いを弱らせながら、遥か彼方の山に、
姿を隠し始めている、それだけしか解らなかった。


「綺麗でした、ありがとう御座います」

神子の足取りに注意しながら山を下りる最中。
下山に集中すれば良いのに、神子は相変わらず無駄口が多い。

「神子に従うのが勤めだ、礼など必要ない」
「・・いいえ、言わせて下さい」

毅然と、私の言葉を押し返すような目線で、
神子は笑った。

「ありがとうございます」


なんて、ばかげた事を考えてしまったのだろう。

私は、この少女とは違う、全く違うものだというのに。


この少女が、綺麗だと言った夕焼けを。
この少女が綺麗だと思うものを、自分も、同じように、

綺麗だと思いたい。

理由など解らなかった、湧き出たその願望の起源など、
全くわからない、けれど、

その事実だけは、やけにくっきりしていた。



帰る