恋だとしても 20081204



「熊野の海には敵わないね」

帰りの電車のなか。
買い物をすると言って、途中で電車を降りた神子を見送った途端、
ヒノエがそう言って、伸びをした。

「さっきと、随分言うことが違うな」
「そう? さっきはさっきで、ホントなんだけど」

神子の前で、海を最高だとか何だとか、褒めちぎってヒノエは、
私の言葉に悪びれもせず笑った。私もヒノエを責めていた訳ではない、
そんな彼を気にもとめずに、ふっとため息をつく。

神子がいると気が張るという訳ではないけれど、
二人になるとなんとなく気持ちが緩んだ。

「どうして、私を誘ったんだ」

ヒノエと二人になったら聞こうと思っていた事をふと思い出した。
私の問いに、ヒノエはちらりと視線を向けると、どうしてって、と呟く。

「お前も、海見たいかと思ったんだけど」
「君は、神子と二人の方が良かっただろう」
「ああ、そんな事」

含みのある笑顔を浮かべたヒノエに、反射的に眉をひそめた。

「今日じゃなくても、二人になる機会なんて山ほどあるだろ」

返す言葉を、何故だかなくして、しかめたままの顔で私は固まった。
なら、いいんだ、と、普通に受け答えをすればいいだけのこと。
胸に生まれた靄が、そんな当たり前の対応を邪魔するように、膨らんで苦しい。

黙ったまま、車窓を眺める。行きにも見た風景が飛ぶように流れる。
考えも無く、目でそれを追いかけていると、ヒノエが淡々と声をかけてきた。

「お前は姫君と二人が良かった?」

凝視したヒノエの顔は笑っていたけれど、さっきとは違う、
含まれた鋭さに、思わず私も目線を強くして、反論した。

「そんな訳がないだろう」
「なんで?」
「何でと、聞かれても」
「だって、好きなんだろ?」

あまりの驚きに、一瞬言葉が出ずにヒノエを再び凝視する。

「誰を」
「望美をに決まってんじゃん」
「まさか、なにを」

声が裏返りそうになって、恥かしさで顔が熱くなった。
赤くなった顔をみられまいとヒノエか目をそらして、
大げさにため息をついてみせたけれど、多分ヒノエ相手に、
この動揺を誤魔化せはしないのだろう。

何かを言って来るであろうヒノエに、心の中で身構える。けれど、
それっきりヒノエは何も言わなかった。

遠くで女性二人の穏やかな話し声が聞こえるだけで、車内は静かだった。

沈黙を気まずく思うような相手ではない筈だけれど、
この時ばかりはひどく違和感をおぼえて、私はつい、ちらりと、ヒノエを見る。
腕を組んだヒノエは、思いのほか真剣な顔だった。

「あーあ、やっちまったな」

私の視線にすぐ気づくとヒノエは、よく解らない事を口走る。

「は?」
「知らん顔しときゃ良かったって言ってんの」

首をかしげた私に困ったように目をやる、そのヒノエの表情が昔のようで懐かしかった。


「ヒノエ」
「何だよ」

今では珍しい、その表情はすぐ引いて、浮かぶのは鬱陶しそうな澄まし顔。

「これからも・・・知らん顔をしていればいい」

神子が好きだなど。違うと言っても誤解だといっても、きっと無駄だろう。
目を大きくしたヒノエに笑う。そして、もういうちど、術でもかけるように繰り返した。

「忘れてしまえばいい。忘れてくれ」

私を睨みつけたヒノエに、穏やかに言った。
きつい目線のまんま、ヒノエは口元にだけ笑みを浮かべた。

「へぇ、余裕じゃん。譲ってやったつもり?」
「譲るもなにも、最初から私など」
「やめろよそういうの」

付け加えたような笑みは剥がれ落ちて、ヒノエの顔には怒りしかない。
私の中には怒りはなかった。ただ、少し困って、言葉を捜す。
捜せば捜すほど、考えるほど、複雑になって言葉にならない。

「ヒノエ、私は」

続きの言葉は、余計にヒノエの怒りをかう気がした。
黙り込んで、膝の上の自分の手を見つめる。
胸の前で組まれた隣のヒノエの手とさほど変わらない形をしたこれは、
見かけは同じでも、ヒノエとは違う。

神子を想う資格など私にはない。そう言えば、
ヒノエはまた私を、火がついたように睨みつけるのだろう。

「もしかして、泣いてんの?」
「泣くわけがないだろう」

突然かけられたそんな言葉に即答しながら、ふと緩んだ空気に、
心が軽くなった。

「黙り込んだと思ったらいつも泣いてたじゃん」
「いつの話だ」

久しぶりに目を合わせた気がするヒノエに反論して、
どちらともなく、ほんの少し笑った。

車内の放送が、私達が降りる駅の名を告げる。
立ち上がって、数人の人々と共に出口に向かう、
横に居たヒノエに、何かのついでに流すように声をかけた。

「君は、本気なんだろう」

一瞬、ヒノエは不意打ちを食らったような顔をしてから、笑って、

「なにが」
「神子の事だ」

一応確認を取るようなヒノエの軽い問いかけに答えて、返事を待った。

「さぁ、どうかな、そういう面倒な事は考えない主義でね」

ヒノエの顔を思わず睨みつける、冗談だとしても、何故だか無性に腹立たしく思えた。
「嘘だよ」
私を笑って見返して、呆れたようにヒノエはため息をついた。

「遊びなら、手をひいてやるんだけど」
言ったっきり、私から目をそらして駅の階段に向かう、ヒノエに少し遅れて歩く。


「そう、か。良かった」

私の声が聞こえたのだろうか、聞こえなかったのだろうか。
ヒノエの背中に、反応はない。
どちらだって、良かった。確認できればそれでいい。

心に浮かんだ安堵感に混じる痛みを、押し殺してしまいたい。

この痛みが、神子への想いなのだとしても、
私はそれを忘れようと、知らん顔をしようと、


一人で空を見上げて、ただ穏やかに微笑んだ。



熊野の海に敵わないとか勝手に書いてごめんなさい。
知らないのにごめんなさい、でも熊野の海は綺麗だぜ神子(うっさい)



 
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